岳行ノート

日本ケ塚山 1107m/愛知県豊根村

2006.11.3(金)江南5時30分発 
       晴れ後曇り 13℃ 
往路:3時間50分(小休止含)
復路:2時間15分(小休止含)


 愛知県“登り甲斐ある山ベスト3”のひとつ「日本ケ塚山」は、毎年予定表に書き入れます。でも豊根村は、我が家から遠く長野と静岡の県境の村です。

 因みに他の二山は「宇連山」「明神山」です。この二つは以前登りました。「日本ケ塚山」は始めて登ります。周回すると5kmとしっかりの距離。

 この辺りは、戦後復興のため全山伐採されたとあるガイドブックにありました。でも稜線に残された自然林に紅葉を期待します。
 
 教科書は、山と渓谷社刊「名古屋周辺の山200ベストコース」です。参考書は「鄙の家」さんにお世話になりました。
駐車場周辺図


登り甲斐、降り甲斐、思惑外


バンガロー村P

切開き

展望台

日本ケ塚山

分岐

Wベンチ

県道出合

嶋開都

バンガロー村P


※色線は実測ではありません。
■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」

 







 ナビに従い愛知→岐阜→長野→愛知とロングドライブです。ここまで柿を盗む猿軍団、不安な朝霧道、紅葉渓谷と演出豊富なイントロでした。

 県道426号の霧島トンネルを抜ければ、青空が嬉しい登山日和です。
 漆島川を渡り、古里とみやまバンガロー村に駐車します。浜松・名古屋ナンバー車も同時に到着です。入山者は6名になりました。
(9:05)
 5分ほど稲妻を切るとキーロックをし忘れたことに気がつきます。ひよこさんが空身で戻ってくれました。私は罰で二人分のリュックを担いで荷揚げします。
 杉林の尾根を急登し一息ついてもまた杉林。陽のない道をひたすら距離と高度のために歩きます。随所にある丸太ベンチが休憩を誘う。
 1時間半以上の長く単調な道。やっと広葉樹の葉から透過光が差し込みました。紅葉には、まだ早かったかな?もうすぐ、もう着くだろうと登り続けます。
 待望の稜線の切開きに出ました。『あっかるいなあ』 伐採された西に展望が開けてます。斜面の植樹が伸びるまではOK。(11:10)
 登山道沿いの高木が色づいています。日当たりのいい場所なので紅葉彩度が鮮やかです。

 でもまだ頂上まで距離があり、ランチ定時の12時にはとても着けません。

 1065mピークに来ると浜松の男性二人が休憩中でした。
『健脚ですね。』と言われ
『いやヘロヘロですよ。』

 以前は展望台があったようですが、今はベンチだけ。眼前の山は、逆光が強すぎてシルエットだけ。
(11:35)


 このピークから向かうべき山頂が2km先に望めます。

 ガイドブックではここからあと85分。という事は『ガ〜ン、1時着かい!』

 こりゃ急がねば‥。
 悲しき大降りは、オマケなしで100m。アップダウンを何度も繰り返し、大底から150mほど登り返さなくてはなりません。『腹、もつかな?』
 登りには、アルミ梯子もあるみたい。
(温かい気持ちでお読みください。次も‥)

この鞍部で一休み、あんぶん(半分)くらい来たかな。御清聴感謝。
 打ち寄せるピーク、そこで展望を楽しめるのがせめてもの救いです。振り返ると1065m展望台がもう遠い。
 こんな風に濃厚な落ち葉カーペットで歓待されると苦しさも少しは安らぎます。
 そしてこの華やかな紅葉の中を無心に歩いているとある不思議を感じました。

<私たちが紅葉パラダイスに出遭う条件>休日・好天気・見ごろのタイミングは絶対条件

その前に‥
いい歳の夫婦が同じ趣味を持つこと。それが山歩きであること。
二人とも健康でそれなりの体力もあること。楽しむためのお金が少しあること。
そして優しさがあれば充分条件!(チャップリン語録をちょっとパクリ)

そんな偶然の確率が合わないとここのパラダイスにはいないわけでして‥。
 何とか12時台に着きました。1903年設置の2等三角点にタッチします。広くない頂上に額縁のような木枠が印象的です。

 後ろのベンチで先着した浜松のお二人もランチを始められました。
(12:55)〜(13:45)

 

南方向以外は、すこぶる展望に恵まれています。中央には未踏の八嶽山です。
ゆっくりしていられないと思ったのに50分過ぎました。過充分だ。
浜松の人に『お先に〜』
 山頂から降ること1分弱で中沢への分岐です。勢いでまっすぐ行きそうですが、ここを右折します。

ジグザグと斜面を降りていきます。
こちらの尾根は往きと異なり、伸びやかな自然林がとても美しい。
しばらく楽しい尾根道が続いた後、ヒノキの植林に変わります。
 標高800m付近に来るとWベンチがあります。最後の休憩にみかんを頬張りました。ここで浜松の方に先を譲ります。
(14:50)

 曇って薄暗くなった林を沢へ向かって下りました。


 流れの音が聞こえました。架けられた木橋は、隙間多すぎ。ここから左岸の沢道です。
(15:05)
 ところが隙間多すぎの橋が、思惑外に何箇所もあります。丸い横木は、昨日の雨でつるつる。両手・両膝・両足の六点支持で必死のひよこさん。
 緊張の道も大堰堤で終了しました。
(15:30)

 やれやれ林道なのにとぼとぼ足は、疲労感のため。
 中沢登山口の県道に到着しました。少し登り道なのがしゃくです。

 すると浜松ナンバーが『プッ』と通り過ぎる。笑顔の二人は、この先の湯の島温泉行きです。着替えてないからわかる。
(15:45)

バンガロー村が見えてきました。右の民宿「嶋開都」(シマカイト)の玄関を開けます。
駐車料金200円を管理代行のおばあさんに払いました。
(16:00)

歩き甲斐のあった紅葉山の思い出は、512MBのSDカードに詰め込まれています。
そしてクライマーはドライバーに変わり
愛・長・岐三県通しの走り甲斐をこなさなくてはなりません。


 
       腰痛封じの旅(1)


 10年続けた水泳も50歳近くで曲がり角に来ました。マスターズ競泳大会出場のため、25mダッシュ練習は心臓に負担が多いと考えたのです。以後大会は辞退し、マイペースで15分ほど泳いで休みまた泳ぐ、身体に優しい水泳に切り替えたのです。ところがコレが裏目に出ます。

 毎週その泳ぎ方をして数年経ちました。すると異変を感じるようになったのです。ターンで身体を折り畳むとき、腰が少し痛みます。今までなら時間が経てば筋肉がほぐれ痛みが無くなるパターンだったのです。しかし今度は違う。痛みが増幅していく。『変だ?』

 翌日まで持ち越すようになり、やがて慢性的腰が痛むようになってしまいました。後でわかったことですが、自己流の泳ぎが原因です。ゆっくり泳ごうと筋肉を緩めたので腹筋を使いません。そのため反った姿勢になります。それで長時間泳ぐため腰に負担を集中させていたのでした。

 ギックリ腰にもなり、日常的な痛みもひどく我慢できずに大病院へ行きました。一連の検査が済み『椎間板が年相応に減ったためでしょう。』と若いお医者さんに言われました。ガッカリです。『50過ぎれば、みんな腰痛になるの?』と突っ込みたい。救いはヘルニアでなかったことです。

 でも原因も判然とせず、そこでの治療(シップ)で治ることはありませんでした。それから旅が始まったのです。接骨院、マッサージ、按摩器、鍼灸と救いを求めて渡り歩きました。そして整体院で診察を受けたとき自分の身体の様子を教えてもらいました。

 左足が長く右足が短い。その差1.5cm!骨盤が右上がり左下がりになっていたのです。その頃のことを良く覚えています。歩くことが下手になったと感じてました。よく左足を引っ掛けて躓いたのです。これは納得。

 その日、1時間かけてその歪みを直してもらいました。『立って下さい、楽ですよ。』立つことに負担を感じ無いのは、初めての体験でした。『歩いてください。』うまく歩けて快適です。

 翌日、腰に鈍痛がありました。急に身体をいじったためで、それは先生に聞いていたことです。その次の朝、車に乗るとき変わりました。2年間続いたいた毎日の痛みが消えていたのです。一生続くと思っていた痛みがない、一日中嬉しかった。でもそれは、たった2日間の喜びだったのです。   (つづく)