岳行ノート
青峰山 336m/鳥羽市
2007.1.26(土)江南6時45分発 
           曇り 0℃ 
周回山行:3時間40分(小休止含)
電車乗車:10分
2007.1.29.23:30

 低山周回第3弾は、志摩半島最高峰‥と言っても336mです。山頂直下に1400年の古刹があります。下山口に置車し、登山口まで電車利用の周回です。

 5年前、テレビで「ドンキ隊」が、この山を登るのを見ました。遠くて登ることは無いかもと思ったものです。鳥羽へ一泊旅行することになり、それではとなりました。

 教科書は、山と渓谷社刊「名古屋周辺の山200」のなんと最終ページです。
駐車場周辺図


広い参道を行く



沓掛駅

松尾駅

登山口

正福寺

青峰山

下山口



黄線:電車
赤線:登山


※色線は実測ではありません。
■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」



 伊勢西ICを下り磯部町まで南下します。国道167号線でターンすれば、青峰山が正面に見えてきました。山頂のアンテナが小さい。
 沓掛駅(クツカケ)手前、自販機や電話ボックスのある広いスペースに置車しました。すると観光バスが来て40人の登山ツアーが降りてこられます。

先の横断歩道を渡り、踏切を越え左折すれば駅です。団体は、沓掛登山口から登られます。
(10:15)
 
 無人駅で近鉄志摩線の10時28分発を待ちました。
(10:20)

『人生の電車に乗り遅れたら、目的地が変わってしまうかもしれない。でもそれがいいこともある。』
『何言っとるの?3つ目の松尾駅でしょ。』

 定時に到着した“電車でGo!”


 8分で着き一人220円を運賃箱に入れました。踏切を渡るとすぐ道標に右折するよう指示されます。 

 この辺りは、石積みの塀が多い。

 新しい近畿自然歩道の道標には舟神様青峯山となっています。山なのに舟??そう言えば金毘羅さんも確か‥
 

鈴串川を渡ってね。』
と言われたような気がして振り向けば水仙が道端に咲いていました。
 新鮮な気持ちで山里の道を嬉しく歩けます。やがて集落を外れ登山道口です。
(11:00)
 山頂まで広い参道を歩きます。常緑樹に囲まれ紫外線から守られる。

  丁石柱が、励ましだったり落胆だったり‥。丁間は109m。.全国の船乗りや廻船問屋、木綿問屋が願主だったそうです。

岩を跨ぎがっちり挟む木に驚かされます。

 ドンキ隊が、女児(アマ)か坊か岩で薀蓄を語っていました。『その大岩に小石を投げて落ちれば女の子、乗れば男の子が授かる。』

 右側の道標の案内通り山側にあまかぼうか岩へ‥。道がありません。イバラが刺さります。チャレンジしましたが諦めました。

 楽しみにしてましたが残念。知っている方、場所を教えてください。
(11:35)
 ガイドブックにも載る巨岩です。これが女児か坊か岩と思ってましたが違います。テレビで見たとき岩上には何もありませんでした。

 護摩岩
の石碑が建ってます。“弘法大師が護摩を焚かれた旧蹟なり”の彫刻。
 ここから5分も歩けば正福寺です。
(12:05)

寺に入ると朝出会ったツアーの人たちがランチタイム。
反対側から登ってきた私たちを見て不思議そうな顔をしていました。
先乗役のガイドさんにあまかぼうか岩を聞くと『見つけられなかった。』やっぱり。

正福寺は聖武天皇の勅願により行基が、奈良時代に開基したと伝えられています。
(12:15)
 本堂には、各地から多数の船の写真や絵馬が奉納されてました。ここは伊勢湾、遠州灘、熊野灘のどの航路からも目安になる位置にあります。

 この海を航行した船乗りたちに海上安全守護として信仰されたのです。

 『それで舟神様と呼ばれるのか。』

 山門は、天保(1842年)に完成、竹中工務店の初代が建立したもので彫刻がすごい。左の永代常夜灯は、大阪の樽船問屋が献建して7mの高さがあります。
(12:35)
 山門から傾斜のきつい坂を登り山頂に向かいました。左手は帰りの降り道です。
 展望の無い山頂に到着。天跡山の碑がありますが、青峰山との謂れは不明です。後ろに巨大アンテナが3本、NHK、民放、地デジ用が窮屈に並んでます。

 以前、配線の切断事件があり、セキュリティがかけられました。金網を揺らしたりすれば、警備員が飛んできますよ。
(12:45)
 山頂から舗装道をしばらく下ります。明るい展望所に着きやっとランチです。久しぶりにコンロを持参したので熱々雑炊。
(13:00)
 
ここは南向きで私にはいかんともしがたい逆光写真。
おまけに自衛隊へリまで写り込む始末。
左に的矢湾スペイン村、正面向うに光る英虞湾
 休憩が済んだら展望所の西端より沓掛山道に入ります。
(13:40)
 長い尾根をゆったり歩きました。こちらにも丁石柱があり、数字が減っていくのが楽しみです。
 そして数字が「一丁目」になったら沓掛登山口に着きます。そこは枝杖が一杯。写真左に農道を進めば、沓掛駅まで道標が案内してくれます。
(14:15)
 朝、“電車でGo!”した駅の踏切を渡れば駐車地です。
(14:30)

 今回のイベント第一部は終わり、これから第二部。
 車で鳥羽のホテルに着くとひよこさんが『ほんとにここへ泊るの?』と嬉しそう。ホテルは四角いビルと思っています。リゾート風は初めてです。

 ゴージャスな気分、ラグジェアリーな空間、デリシャスな食事‥『欧米か!』


※詳細は道草で‥。この写真は夕食の後、撮ったので夜景です。
 翌朝は、伊勢志摩スカイラインで朝熊岳(アサマ)の金剛證寺に向かいました。本堂の上、奥の院途中に卒塔婆(ソトバ)が群立する異形空間に仰天します。

 この供養塔、大きいものは電柱くらいの高さと太さです。数百メートルもびっしりと壁のように連なっています。
 おかげ横丁のある伊勢神宮内宮は、何度も行きました。外宮は初めて訪れます。式年遷宮は、平成25年で6年後です。

 境内の勾玉池では、ちびっこがカモや鯉に餌を投げてほほえましい。近くの食堂で「てこね寿司&伊勢うどん」のお得セットでお昼としました。

そして最終地は、伊勢市の姫路城です。


1/23のスケールで19年かけて個人が作られました。全高4.5mで天守閣は2.5mあります。
円座町井村さん(69歳)宅のお庭にあり、奥様に庭に入れていただきました。
マスコミによく紹介され明日もCBCが取材に来るそうです。建物はすべて完成されています。

 47歳から作り始められたのですが、初期に作られた屋根が痛み出し修復中です。
維持管理も大変だ。脚立も貸していただき、手前の馬小屋で乗馬する侍も撮れました。
その人形は奥様の手作りで石垣は25,000枚の石を使用したそうです。

※07年3月10日中日新聞夕刊で8段枠で紹介されました。
城製作のためこの土地を購入し、1800万円の原材料費がかかりました。(4月6日城の日に完成式)


さあこれで旅もおしまい。
130キロを安全ドライブでゆっくりおうちに。
でも130キロで飛ばせば1時間で着けるぞ!

冗談です。


 
       スイートルームとかスペシャルルームとか 

 “スイートルーム”心地良い響きです。新婚旅行ですらオフシーズンの格安ツアーだった。一度は泊ってみたいが、縁の無いものと思っていたところ‥。

 昨年ホテル業界で上質の部屋を一般部屋並みの価格で販売する企画がありました。私もその宣伝に乗りまんまと去年3月に一枚購入したのです。送金しても中々クーポン券が送ってこなく、確認したら売れすぎて券を増し刷りしているとのこと。

 代理店の人に聞くと一人で3枚4枚と買う人もいるそうです。『そんなに人気あるの?2枚にしておけば良かったかな。』すぐ後悔する。『なら来年もやるのでしょ?』と聞くと『いや〜ほとんど利益が無いので無理です。』『絶対ホント?』

 クーポンには、利用条件があり有効期限一年、トップシーズンと休前日はダメ。それはしょうがない。私のクーポン券の期限が切れそうで、慌てて泊まりに来ました。

 今回のホテルは、24時間入浴可の部屋付き個室温泉露天風呂がウリです。和室・洋室の二部屋で余裕の広さ。夕食は和食会席で食前酒から始まり揚物、焼物、台物等13品目もあります。ひよこさんが途中で『まだ半分も来てないのに苦し〜い。』と言う。グルメも胃袋に根性を入れないとだめだ。

 あわれ貧乏舌の二人にはどれも美味しく感じ、残さず食べきってしまうのでギブ寸前。そしてなんとか食べ終わり、部屋で膨満感の腹に布団を掛け、体重増の不安を枕にして眠りに付きました。

 帰宅してから代理店に『良かったよ。ホント』と感想を言います。すると『実は大好評につき、今年も3月からあの企画やることになりましたのでよろしく。』そりゃそうだ。売上の異常値を作ったら、営業は前年割れしないため次年度、そのカバーをしなくてはいけない。

 『それ見たことか!』
 しかしいい企画だから再販売は嬉しい。また機会があれば、リッチな部屋にお値打ち価格で泊りたい。今度は山方面がいいかな。