21   “ラーメン屋さんの誕生日
 
 今週末は、なんと土日が雨予報。『何とダブルか』登山をあきらめた私は、そんなときは休足日と決め込む。でも思いは山に行く。尾根で鳴いていた鳥はどうしているのだろうか。木の枝に止まり一日、虫も食べずに耐えるのだろう。虫はどうしているのだろうか。葉の下で雨に打たれないように隠れ、新緑を食むのを我慢しているのだろう。

 こんなときには大道草を作ります。いつものように山とは関係ない話ですが、よろしかったらお読みください。



 私は、山の友でもあるラーメンが大好きです。住んでる近辺のお店が、グルメ番組や雑誌で紹介されると行ってみます。もちろんそれなりの味はしています。しかし本当に美味しいラーメン『このスープを残すのが惜しい』と思わせなくてはいけません。スープを飲み干さずにはいられないほどのラーメンには、中々出会えません。


1.子供時代

 今日のお話の主人公は、最後の一滴まで飲めるラーメン屋の大将こうちゃんです。彼が母親から誕生するときは、大変な難産でギリギリに帝王切開し鳴き声を上げたそうです。トラック運転手の父親は彼が小さな頃、事故で亡くなり、その記憶はありません。母親は、生活のため街の居酒屋で働きました。夕方出勤、夜中帰りなので彼は幼い頃から鍵っ子だったのです。

 母子は長屋に住み、生活は貧しかった。母親は良く働いたのでひもじい思いはしませんでしたが、一緒にかくれんぼをしたり、海や山へ遊びに行った家庭的な思い出は彼に残っていません。小学生になると授業参観には必ず出席し、運動会では弁当を持ってきてくれたのです。ただ水商売風の派手な化粧と服は、学校では場違いのようでした。

 それに酒焼けのかすれた大声で話すので特別目立つ。あとでクラスの子に母親のことでよくからかわれました。そのため彼は次第に友達を避け、内気で心を閉じるようになったのです。中学生になるとそんな母親が疎ましくなり、次第に嫌悪感を持つようになっていきました。高校進学は、母親の強い希望でいやいや入ったのです。


2.ラーメン屋

 勉強も嫌いで友人もできない彼はあっさり中退しました。その時は母親と大喧嘩になり、即刻家を飛び出し都会へ出たのです。根底には、母親から離れたい気持がありました。何をやりたいといった目的もなく初めは新聞販売店の寮に入ったのです。しかし無口で人付き合いもできない彼は勤めが長続きしません。

 牛乳配達、大工の手伝い、内装工など転職を繰り返しました。その間、家には一度も帰っていません。10年が過ぎ、とある街に流れ着き土木作業員としてしばらく働いていました。ある現場のとき、昼飯時に小さなラーメン屋さんへ入ります。老夫婦だけでやっていてテーブル一つ、カウンター席が6席ほどの古いお店です。

 ラーメンを食べると想像に反し、世の中にこんな旨いスープがあるのかとたまげる。その時、自分でも作りたいと思ったのです。そして従業員募集の張り紙を見て翌日から彼はそこで働くことにしました。当然、初めからラーメンは作らせてもらえません。皿洗い、掃除、ゴミだし、出前など下働きばかりです。


3.再開

 それを耐えられたは、あのスープのためでした。ところがラーメン屋で働き出し1年過ぎたとき、突然アパートに母親がやってきたのです。『何しに来た』彼は、うっとおしそうに言いました。『元気でやってるか見に来ただけや』家を出てから10年余り経っています。母親は相変わらず濃い化粧ですが、老いは誤魔化せません。年齢より随分老けて見え、病人のようで肌つやもまったくない。

 『ラーメン屋さんでがんばってるようね』母親に保証人になってもらったのです。『あ〜あ、俺風呂へ行ってくる』一緒にいるのがいやで部屋を出ました。わざと時間をかけて戻ってくると部屋の電気は消えていてほっとします。ドアを開けると中は奇麗に掃除や洗濯がされていました。

 それが母親を見た最後です。1年も経たないうちに肝硬変で逝ってしまいました。親戚から連絡が来たのですが、亡くなった母親に対する感情は何もなく涙も出ません。『病気なのに無理して俺の所へくるからだ』冷ややかな思いだけがよぎりました。


4.誕生日

 それから数年が過ぎその日、彼は30歳になりました。相変わらず人付き合いの出来ない彼は、恋人どころか友人もいない。今までも『お誕生日おめでとう』なんて言われたことはありません。30歳になっても特別な思いは湧かず、20代より響きがおじん臭くなった気がしただけです。

 その夜は、閉店してから厨房の大掃除をしたのでいつもより遅い帰りとなりました。彼は、安アパートの散らかった部屋に着くと棒のような足、雑巾のような体を万年床に横たえたのです。うっかりケイタイを落とし小机の下に転がっていったのですが、止める気力もありません。

 しばらくして仕方なく小机の下に積み重ねられた雑誌を引き出しました。覗き込むとケイタイは縁に転がっていたのですが、机の裏に何か白い紙が貼ってあります。それを剥がすと小さく折られた便箋でした。開けると1万円札が入っていて下手な文字が綴ってあります。

 『こうちゃんへ 子供の頃かくれんぼしてあげなくてごめんね。このお金を見つけたら、こうちゃん お小遣いにしてね。こうちゃん 今日はありがとうね』

 あのとき、冷たくした彼に残していった母の手紙です。きっと回復できない身体の余命を考え、どうしても会いたくて来たのでしょう。何度も読み返すと母の伝え言葉が、じわっと心に染み込んできます。最後の『今日はありがとうね』を見ているとこれまで親子の交流を止めていた堰がとうとう切れました。

 家を離れて以来、自分にありがとうと感謝してくれた人がいただろうか。彼もまた人に感謝をすることはなかった。彼は、自分の不遇を母や周りのせいにしていたのです。うまくいかないのは、人のせい・世のせいだとグチや文句ばかり言ってきました。

 母はどんなに邪険にされても息子の部屋を片付け、息子にお小遣いを残し、息子に感謝の言葉を書いています。『なぜそんなことができるのか』すぐには理解できません。確かなのは『ありがとうね』と言ってくれる母はもういないことです。堪えきれず彼は声をあげて泣き惑います。

 何度もしゃくり上げると過呼吸で息ができないほど。涙でぐしゃぐしゃになりながら母親の思い出が蘇えってきました。命がけで生んだ日のことを語っていた母。夜半に帰宅し、殆ど寝ずに父兄参観日へ来てくれた母。それに‥運動会の弁当も徹夜で作ってくれたのだ。高校入学資金もコツコツと貯金をしていたのだ。

 そんなことを何も考えず、自分は、本当にささいなことで母親を全否定していた。『その母に自分は何をした。感謝の言葉一つ言っていない』それを思うと『母ちゃんゴメン、母ちゃんゴメン』彼は、またおえつするのです。母が最期に伝えてくれたのは、感謝の気持を持つ大切さ。

 しかし彼はやっと理解したことを言えない。もう遅い、かけがいの無い大切な優しさを失ってしまった。彼は自分の思いを母に伝えたいと思いました。腫れた眼でケイタイのメールを打ちます。

 『母ちゃん、手紙と小遣い見つけた。返事が遅くなってゴメン。今日ぼくは30歳になった。やりたいことが見つかった。母ちゃん誕生日をありがとう。ぼくを生んでくれてありがとう。本当にありがとう』そしてアドレスを“kachan@tengoku”にして送信します。もちろん返信メールは来ません。


5.感謝


 その日から彼は変わっていったのです。自分の周りにいる人に感謝の心を持つようになりました。それは周りの人も感じます。何年か経ちラーメン屋の老夫婦は重労働の仕事が限界になり、彼に店を任せるようになりました。あの残すのが惜しい秘伝のスープも教えたのです。

 やがて常連さんが、彼と同い年の女性を紹介してくれました。その女性と所帯を持ち男の子が生まれます。平凡だけど充実した仕事と家庭を手に入れたのです。彼ら夫婦は、今もあの店であのラーメンの味を守り続けています。


 そして彼は誕生日になる度に母親に感謝メールを打つのです。
『今日38歳になりました。母ちゃん誕生日をありがとう。ぼくを生んでくれてありがとう』
 いつも返信はありません。でも一度だけ夢の中で返信メールを受け取りました。

『こうちゃん 返事ありがとうね』
 そのとき彼は、寝ながら涙を流していたそうです。  
2008.5.11(日)22.35 「母の日」に