1.ビンの王国
世はペットブームです。人間並みに健康保険があったり、ペットのホテルや美容室にエステと至れり尽くせり。ある沈黙の夫婦派のご主人にとって愛犬は、心の癒しであり誰よりも大切な家族です。夜は一緒に布団で寝るほど。『言うことを聞かない家族や無視される妻より愛犬に全財産を与えたい』とグチるほど。
私が子供とき、初めて飼った動物はアリです。小学生3年生の夏休みの宿題で昆虫の観察日記のためです。アリは近所の空き地へ行けばどこにでもいます。牛乳ビンに土を入れ、20匹くらい捕まえて針穴を開けた蓋をしました。子供部屋の出窓に置き観察開始です。
やりだすとこれが結構面白く、乾燥しないよう時々水を上から垂らしたり、餌に小虫の死骸を入れてやりました。砂糖はごちそうです。どんどん巣は下に延びていき、1週間もすると立派な地下王国が完成しました。
4歳下の弟が、色々な方向に張り巡らされた巣道を走り回るアリを見て『兄ちゃん、アリよく働くね』と感心しています。ある日、私が水を垂らすため蓋を開け、茶碗を取ろうと振り向いた瞬間、手がビンを引っ掛けました。
『ガチャーン』ビンは落下して床に土とアリが散らばる。築かれた王国は崩壊し、アリもパニックで逃げまどいます。私と弟も大慌てで土やアリを手ですくい窓の外へ投げる。ほうきと塵取りをもって駆け付けた母にこっぴどく怒られました。
2.カナリア
やがて私は中学生になり、三男の弟が小学3年生になりました。そのころ鳥を飼うことが周りで流行ったのです。影響されやすい弟が『母ちゃん、鳥飼いたい』と訴えました。末っ子に甘かった母は、カナリアをつがいで買ってきたのです。竹の鳥かごに夫婦はおさまり、ピーチクパーチク鳴いています。
当然世話役は弟で、小さな皿と茶碗にそれぞれ水と餌の粟(アワ)を入れました。最初は、どのくらい入れていいのかわからないので少し入れて様子をみます。朝見ると夫婦の食欲は旺盛で全部食べられていました。これはいけないと今度は茶碗に粟を山盛りで入れたのです。
毎朝弟がチェックしていましたが、1週間ぐらいして私が学校から帰ってきたら、弟が鳥かごの前でメソメソ泣いています。中を見るとカナリアが二羽ともカチコチになって転がっていました。何がこの夫婦に起きたのかわけがわかりません。鳥かごの中に水はあるし、餌もまだ山盛りになっています。
庭で弟に穴を掘らせ二羽を埋めました。母親がパートから帰り、鳥かごを調べます。『粟が全部カラだわ!』と言う。山盛りに見えたのは粟の皮。カナリアは、粟の実を食いつくしていました。それを弟は、まだ一杯あると思っていたのです。死因は餓死、あ〜無情。
主のいなくなった鳥かごは、残った粟としばらく廊下の隅に置かれたままでした。
3.文吉
そのうち周りでは、手乗り文鳥を飼うことが流行ってきたのです。今から考えると本町の鳥屋に商才があった気がします。弟が『母ちゃん、文鳥飼いたい』と甘える。まあ鳥かごも餌もあるからと母は思ったようです。
やがて文鳥が我が家に来ました。カナリアより高価らしく1羽です。文鳥はヒナから育てないと手乗りになりません。ギーギーうるさいヒナが段ボールの小箱に入っています。餌は粟をお湯でふかしてかきまぜ、パクパク開けた口に入れてあげる。
こぶとり爺さんみたいな餌袋があり、よく食べます。当然その係は弟ですが、学校に行ってる時はできません。そこで母がパートの昼休みに食事に戻ったついでに餌を補給したのです。みるみる育ち、真っ白な体毛に赤いくちばしの美しい白文鳥になりました。
もちろん手乗りになったことは言うまでもありません。弟が一番世話をしたので彼に良くなついています。私が文吉と名づけてやりました。『兄ちゃん、文吉見て』弟が指に止まらせ顔に近づける。すると彼の唇に出した唾をついばんでいます。
私もやってみると鼻の中にくちばしが入り、鼻毛をついばまれ『いてて』と顔をそむける。鼻先を文吉の胸に当て顔を左右にゆっくり振っても文吉は目を閉じて嫌がりません。『ふわっとして気持ちいいなあ』弟は学校から帰ってくると鳥かごから文吉を出し、肩に乗せて部屋を歩きます。
文吉もかごから出されると喜ぶようで部屋の中を少し飛び、頭の上に戻ったりしました。逃げるといけないのでかごから出して遊ぶ時は部屋は閉め切っています。しかし飛ぶと便意を催すようで部屋に糞を撒き散らして困る。弟が風呂に入る時も文吉を中の脱衣棚に止まらせ上がるのを待たせています。
私が風呂に入ると糞が棚に残っている。私や母が怒るので、弟は必死に糞を掃除しました。ある日、私が庭にいると彼が部屋で文吉をいつものようにかごから出そうとしています。戸が開いているのに気づいてないようで私が『戸を閉めろ』と叫んだのがいけなかった。
文吉は勢いよく羽ばたき庭にいる私に向かって飛んできたのです。慌てて手を差し出す私を無視し、向きを変え上にあがると平屋の屋根を飛び越え姿が見えなくなる。私と弟は呆然と立ちつくすだけ。‥ところが裏の部屋の窓をから文吉が、さーっと弟の頭に戻ってきたのです。
『奇跡だ!』二人は、絶望の底から歓喜の頂上に登る。我に返り慌てて窓を閉めます。やっぱりヒナから育てられたのでその恩は忘れないとか、一人では食っていけないから帰ってきたのだろうと弟に話しました。そんな事件があったのですが小学3年生の彼は若い。
守備的精神よりチャレンジ精神のほうが勝っています。帰巣本能を信じ、その時と同じように南の戸口から飛ばし、屋根を越え北の窓から帰ってくる周回を文吉にやらせたようです。数回やってもちゃんと戻ってくるのである日曜日、3人の同級生を連れてきました。
『文鳥なのに文吉は、伝書鳩みたいだ』と自慢したらしくその勇姿を見せるためです。そのとき私も庭で様子を見ました。友達は廊下に座ります。そこで弟が、文吉を指に止まらせかごから出します。『そらっ!』指を少し上にあげると羽ばたいた文吉は、庭にいる私の方に飛んできました。
しかし屋根ではなく西の青空へ向って一気に飛び去ったのです。私が『逃げた!』と言うと弟が裸足のまま庭に走り出てきて『どこどこ???』と聞く。私が指差してやりました。もう遠く小さい。文吉は最初、家の中を飛びまわり屋根を飛び越える翼力を付けた。
次に屋根越えの周回をするうちに青空へ向かって飛ぶ翼力を密かに得たのでしょう。文鳥も元は野生です。やはり、かごの中より自由に青空を飛ぶ方が嬉しいにきまってます。文吉は満を持していたのか、いずれにしろあの飛び方は、戻る意思をみじんも感じませんでした。
弟が、めそめそするのでその日から一緒に近所をあちこち探し回ります。結局、何日経っても文吉は見つからないし、戻っても来ませんでした。それからしばらく、弟はショック状態が続いていたのです。やがて商店街で祭りがあり、母は弟を連れだしました。
帰ってきて『兄ちゃん、ひよこ飼おうか?』と久しぶりの弟の笑顔。夜店で売っていたようです。子供は立ち直りが早い‥と中学一年の私は羨ましく思う。その翌日にひよこが1羽我が家に来たのです。やがて弟の後ろをピョコピョコと付いて歩くようになりました。
|