1.実験 (以下名は仮称)
一枚の古い写真が右下にあります。登山ですが目的はピークハントではありません。でもこの先、頂上では世にも稀なる経験が待っています。(それにしてもピンボケが、けたたましい)
大学4年の時、工学部でも出来の悪い私は、友人の稲田君を石丸教授の卒研ゼミに誘いました。高齢で頭髪が薄いけど優しい人柄です。教授が指示した彼の研究テーマは、レーザー光の拡散角の調査でした。当時レーザーは、最新テクノロジーです。
その光は懐中電灯のように広がりません。理論的には、どこまでも点で到達します。しかし『レーザーガンの性能や空気の影響で広がるはずだ』と教授が言われます。最初、片手で持てるほどの小さなレーザーガンを構内の外廊下に置き測定実験をしました。
光を直接目に受けると網膜が焼けると言われ充分注意します。この機器はルビーが光源だと聞き、良からぬ考えが浮かんでは消える。測ってみれば1mの距離でも20mの距離でも光点の大きさは3ミリで変りません。
これではらちが明かない。『かなりの距離がないと測れません』と教授に相談すると『ちょっと考えてみる』と言われました。しばらくして教授は授業で突然『二週間後の定期テストは飯綱山で行います。
その時レーザー光の拡散測定実験も併せてするので山小屋泊の用意で来るように』みんな大騒ぎ。確かに学舎から飯綱山山頂は見え、直線距離で15kmはありそうです。スケールの大きなアイデアに舌を巻きました。
2.山へ
そして当日、10名の学生はバスで登山口まで行き3時間以上かけ1900mの山頂へ登ったのです。途中、雲海が下にあることに感激し稲田君に上の写真を撮ってもらいました。山は展望が抜群で街も眼下に広がります。頂上小屋に到着してカレーライスを作り、早めに夕食をとりました。
日が沈む頃、全員で学舎が見える場所に行き、教授の指示どおり各自広がります。トランシーバーで学舎で待機する助教授にゴーサインを送りました。ここからが大変です。助教授は、セットしたレーザーガンの方向を調整します。教授がしきりに指示を送りますが、光は一向に届かない。
何しろ15km先の一点にレーザー光を当てなければなりません。周りはどんどん闇に包まれる。そのため山からは懐中電灯を点滅させます。一時間ぐらいたった頃、右手端から『見えました!』と大きな声。『おお~』とみんなは笑顔になる。トランシーバーのやり取りがせわしい。
それから30分、やっとのことでセンター位置に光点が落ちつくと、期せずして全員で万歳をあげました。これくらい距離があると直視しても目は痛まないと教授が言われます。そこでみんなは、順番にその光を見ました。
光点から少し離れた場所では、光源どころか光筋すら見えません。しかし、ちょっと左に寄ると突然、輝く赤い光が風のように全身を包みます。
それは眼の記憶に無いまったく新しい光です。暗闇に純粋な美しさが感動的です。外れれば、また何も見えない。いわゆるデジタル的で見えるか見え無いかのどちらかです。
(学舎の屋上から)
3.測定
教授が『稲田君、見える範囲を測定しなさい。それが拡散距離ですから』と言います。本日の目的であり核心部分です。私が光の見える右端に立ちました。もう一人が左端に立っています。しかし彼はいつまでも測定に来ません。見るとリュックをひっくり返している。
そして『すみません教授、メジャーを忘れました』みんながこける。教授が『物差しを持っている人はいないか?』と聞くけど全員が首を振る。少し間があって『じゃ稲田君、歩幅で測りなさい』何という大雑把な実験!怒りもしない教授の優しさに助けられ彼はバツが悪そうに歩きます。
『教授7.5歩です』『重要な数字だからメモしてきなさい。その歩幅を忘れないように』私が小声で『何でメジャー忘れたの?』と稲田君に聞くと『誰かが、持ってくると思ってた』とつぶやく。『お主の実験じゃぞ!』と突っ込む。頭を掻きながら彼は『歩幅忘れそうだ』『それだけは死んでもいかん!』
4.翌朝
朝起きてレーザー光線をもう一度見に行くと、まだ学舎から光が届いていて明るい中でも鮮烈です。もう一度、改めて歩数を稲田君と慎重に確かめました。朝食の後、頂上広場でみんなが適当に座ります。
教授がテスト用紙を配り『一時間でやってください。私は散歩してきます』みんなはしめしめ顔に輝く。輪になり仲良く相談したことは言うまでもありません。そして下山しました。
5.その後
石丸教授は、十数年後にご逝去されました。助教授は、教授になられ数年前に退官されています。今でも年賀状のやり取りはさせていただいており、今回この山名が不明だったので電話をさせて頂きました。『どこの山かは忘れたが、あの時のことは良く覚えている。
卒論原本を皆に送ったので稲田君に聞いたら? 電話くれてありがとう』とおっしゃられました。彼とは今でも年賀状のやり取りだけはしています。そこで何十年ぶり稲田君に電話したら『山は飯綱山に違いない。けど論文は行方不明だ』と結局その詳細はわかりませんでした。
星の無い夜、遥かな街から忽然と山頂に現れた光‥今でも思い出せばあの澄んだ赤色光は、心にまぶしく蘇ります。できるならもう一度あの山頂であの光を見てみたい。
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