大 4 “デビルのスコップ” 06.12.10
1.予兆
その予兆は3日前からありました。何もしていないのに午後から腰に疲労感を感じます。翌日は山行予定なので夜準備を終え早めに寝ました。一晩眠れば治ると思っていたのですが、起きてもまったくその疲労感は取れていません。『山、どうしょうかな?』朝食を食べていると腰の奥に微弱な電気が流れました。くすぐったい感じがして『山でぎっくりしたら大変だ』と思い、休山を決めたのです。
2.突然‥
次の日は仕事でした。寝る前の午後11時、入浴しようと洗面所に行き、脱いだ服を取ろうと‥思った瞬間、経験のないすざましい激痛が腰を襲う。まるでデビルが飛んで来てスコップで背中を全力殴打されたようだ。慌てて両手を洗面台につき必死で身体を支え痛みを堪える。何秒か後、痛みは退いてもその根は残っていた。不自然な身体の向きを直そうとしたとき、またもや恐ろしさを増した痛みが腰に来る。懸垂状態の手は震え、歯を食いしばった顔から血の気が引きもう倒れそうだ。
通りかかった娘にひよこさんを呼んでもらう。『どうしたの?』私は小さな声で『ぎっくりだ』裸で寒くパジャマのズボンを足に通してもらおうと少し足を上げる。と、容赦ない激痛、その間は息が出来ない『うおーーー!ハアハアハア』両手は身体を支えているので袖を通せなくて上着は羽織るだけ。とに角、寝室に行かねば‥。膝を突く。『うおーーー!』やっとのことで四つんばいになる。
手のひらや膝を上げ進もうとすると『うおーーー!』何とか進まなければと腹にバスタオルを通しひよこさんに身体を持ち上げるようにしてもらう。指をにじり寄せ摺るようにカタツムリの速さがやっと。5mの廊下が長い。トイレの前を通るとき『今、しておかなければ‥』四つんばいのままペットボトルで作ったシビンで用を済ます。
30分かかって布団までたどり着く。四つんばいからうつ伏せになる。しかしその姿勢では腰に負担がかかり仰向きにならなくては‥。まず横向きに、『うおーーー!』そーっと姿勢を倒す。『うおーーー!』そうして身体は布団の縁に定着、‥もう動けない。寝具を掛けてもらう。枕を直そうと腕を頭に方に持っていく。『うおーーー!』左足が布団の外に少し出ていて冷っとする。『うおーーー!』デビルの情けなしの拷問が続いた。生き地獄。
明日になれば少しは動けることを期待し0時30分就寝。
夜中に何度も目が覚める。1mmも動けないと肩とお尻が床づれで痛くなる。横を向いてみようとすれば、また『うおーーー!』6秒間、腰の激痛をこらえる。その間上半身の筋肉が石のように硬直。それはふくろはぎが、つるようなものだ。締め付けられた肋骨の骨が折れそうで心臓も苦しい。
3時間ほど眠っただけで朝が来た。事態は何も変わってなくガッカリだ。その姿勢でペットボトルしびんで用を足そうとするが、意思が先端まで伝わらない。30分ほどしてようやく水門が開きほっとする。『何か食べる』と言われ、ミカンとお茶を頼む。寝たまま一切れ食べるとミカン汁が、喉に引っ掛かりむせると『うおーーー!』慌ててお茶を飲む。また咳が出そうになる。9時前に会社に電話してギックリで動けないから休むと伝えた。
3.救いを
飲み食いしてなくても午後2時ごろになると膀胱が張って苦しくなります。ペットボトルしびんを用意して1時間‥今度はまったく出ません。毒素が身体に回り気分が悪くなってきました。動けないので医者にも行けません。『どうしよう?』ひよこさんに「119」へ電話してこういうときはどうしたらいいか聞いてと頼みます。
説明すると即、出動するとのこと。『え〜、担架にはとても乗れない!?』何と5分で救急車は、我が家の前に到着しました。3人の救急隊が私を囲んで事情を尋ねるので動くと激痛に見舞われるので動かさないで欲しいと懇願します。
最初、縦に割れた担架を左右から差し込もうするけど私の腰が上がらない。素材のアルミが身体に触れたとたん『うおーーー!』断末魔の叫び声。救急士が固まる。彼らはその方法を諦めた。体の横にボードを置き敷き毛布を3人で引っ張って乗せることになる。実際は、布団とボードの高さが異なり困難な作業だ。乗る瞬間『うおーーー!』と痙攣して私が固まる。
そのボードを小雨の外に運び、救急車の中に入りました。生まれて初めての救急車搭乗。そこで始めて搬送先の病院を探しています。3件目で空きベッドのある救急病院が見つかりました。「ピーポー、ピーポー」ゆっくりと走る。それでも揺れがあるので救急士の方がベルトでくくられた私を支えています。20分で病院に着きました。
4.入院
昔、ベンケーシーのドラマで見たように私には天井の流れる蛍光灯しか見えません。救急室に着くと怖れていたこと‥担架から病院ベッドへの移動。病院側は救急隊のように細心の配慮はしません。優先はスピード、早速『うおーーー!』と6秒間痙攣して固まる。
私の周りに10人ほどの白衣が取り囲む。ものすごい速さで代わる代わる手際よく処置をする。点滴、尿導管挿入(コレを待ってた!痛みはない)、痛み止めを*に挿入、採血、脈、心電図、レントゲン撮影の感光板を腰下に挿入『うおーーー!』、もう一枚を背中に挿入『うおーーー!』一連の処置が終わるとMRI撮影用のベッドに移し変え『うおーーー!』その部屋まで運ばれ撮影用のトンネルに入り10分間微動だにできない。
普通なら1〜2週間かかる検査が30分ほどで終了。看護士さんが病室へ運びながら聞く。『大部屋か個室、どちらにします?』瞬間、大声を出す、トイレに行けない(悪臭放出)‥ええい、何か保険でリカバリーできるだろう。『個室で‥』と応えてしまった。
病室のベッドに移されるとき『ガルルルーーー!』とやはり叫び声を立てる。しかしデビルのスコップは、それが最後の打撃でした。
今日一日ミカン一切れしか食べていない。夜の8時過ぎたけど食欲なし。家族も帰り、お医者さんが9時に来て『ヘルニアが少し出てます』『手術ですか?』『いやそれほどではありませんので安静してください。手術で切ってもまた出ることもあります。』ギックリ腰ではなかった。これで私はヘルニア共和国の住民になったわけです。
5年前のギックリ腰は、ピリリと鋭角的な傷みでした。今回はまったく異なる痛みです。結局、デビルのスコップ打撃は合計50回、ほんとに辛かった。痛みが怖い。もう二度と打たれたくない。
翌早朝、床づれが痛く目が覚めます。恐る恐る少し横を向いてみます。痛み止めが効いているのかズキーンとするけど激痛ではありません。朝食が来て寝たままスプーンで食べます。むせて咳き込んでも電気が走りますがあの痛みまで届きません。激痛の嵐は去りました。
それから私の生まれて始めての入院生活が始まったわけです。オムツ、オマル、尿導管、しびん、紙パンツ、介護風呂‥初体験のことばかりで貴重な経験です。特に3日ぶりに排出した私の馬並みの汚泥を始末していただいたことには、ただただ頭が下がります。
9日間に及ぶ入院中、毎日ひよこさんが病室に来てくれました。HPの状況や書き込みのプリントを持参してくれます。家族や友人もメールや電話で励ましてくれました。孤独でないことがどれだけ心強かったでしょう。治療に対して前向きになれます。
5.退院
痛みが消え去り退院することになりました。お会計は、海外旅行へ行けるぐらいのお支払いです。結局、当てにしていた保険は特約事項で残念ながら該当外。懐がかわって痛くなりました。
帰宅できた日、テレビでタイミング良く腰痛の特集をしていました。「たけしの本当は怖い家庭の医学」です。前かがみで痛いか、後ろに反らすと痛いとか、予防体操など一生懸命見てその体操をやりました。二度とヘルニア共和国には行きたくありません。何でもやってみます。
翌日からプールウォーキングでリハビリ開始。腰痛の本も買ってきて調べると原因は悪姿勢のようです。その姿勢で激務をこなし、その姿勢を家でも繰り返していました。その結果、バランスの崩れた筋肉が腰を支えきれなかったようです。
今夜、親戚に紹介してもらった柔道整復治療にも行き、歪んだ姿勢の治し方を教えてもらいました。復活の日を夢見て、私の腰痛封じの旅は続きます。 |