大40 “ボツ山” | ||
山行で大きな満足感を得て、それを岳行ノートで表現できればこれほど楽しいことはありません。そんなトントン拍子は、年に数回あるかないかでしょう。 「野麦峠」(2006.06.10)は、その数少ない一つで多くの感動を貰いました。あの時、岐阜の高根町から野麦峠まで登り、少し長野側へ降りてみました。でも時間と体力を考え終点までは歩かなかったのです。 いつか野麦街道の残ったルート、長野側を歩きたい。できるならガイドブックのように岐阜〜長野を通しで歩いてみたいと思いました。すると私が歩いた翌春、新聞に「野麦峠まつり」で工女が旧街道を歩く写真が掲載されたのです。このまつりは旧奈川村(松本市)が、毎年開催しています。 地元の小中学生が、当日かすりの着物を着て工女姿になり記念山行として峠道を歩くのです。これは楽しそうです‥行かねばなりません。計画を立てたのですが、タイミングが合いません。今年は5月16日(日)の開催です。思い立ってから3年越し、まつりに参加し記念山行で歩きましょう。 会場は江南から250km、集合時間も早いため前夜泊の準備をして5月15(土)9時半出発。中央自動車道の伊那インターで下り権兵衛トンネルを抜けます。野麦街道に残る歴史スポットも訪ねたかったのでそのルートを取りました。車中ランチをして4時間弱で奈川に着きました。 最初のスポットは「寄合渡地区石仏群」。集落の辻々にあった石仏が1ケ所に集め祀られています。この後は、集合場所の下見に向かいました。 そこは野麦街道沿いの「手打ち蕎麦 峠路」です。そこには当時の女工宿「諸人御宿 扇屋」(下写真)が再現されています。 この辺りは川浦歴史の里と呼ばれ、まつりの受付場所です。周辺の川沿いに100台以上は停められる臨時駐車場があります。その時、軽トラが着きました。下りたのは奈川支所の方達で受付の設営をされるようです。ご挨拶をしてお話を伺います。すると係の方は‥ 『今夜は前夜祭で「あゝ野麦峠」の著者夫人との対談会があります』『もちろん参加させていただきます』『ありがとうございます』 『今日、資料館の旅館松田屋に行ってみたいのですが』『着く前に支所に電話してください。管理人に鍵を開けさせますから』 この場所から川沿いや牧場の中を辿る野麦峠ウォーキング(3.5km/9:45出発)を勧められたですが、工女さんとの記念山行(1.3km/10:00出発)に間に合いません。高山市と山行を共催すればより楽しいと思いますが、高山側は広い駐車場がなく難しいようです。 石室の場所をお聞きしてそちらへ向かいます。この施設は冬の峠越えで凍死する旅人を救うため江戸文政年間に造られました。(左写真) 幾多の災害で失われ昭和62年、村が道路沿いに復元したものです。中は4畳半弱の広さで暖炉もあります。そしてワサビ沢登山口に向かいました。 受付場所から2km上がってきた所が、ガイドブックにもある登山口です。写真右側に駐車場がありますが、まつりの時、工女さん達の記念山行出発地になるので使用できません。ここで写真を撮っていると先ほどの軽トラが走ってきました。係の方が車から降り‥ 『資料館の管理人が不在で今日は入館できません。すみません』わざわざ言いに来られました。 『ありがとうございます。構いませんよ』と返事しました。それじゃあ野麦峠に行き青空の乗鞍岳を撮りましょう。 車でつづら折りをひと上りすると、さすがにひやっと気温の低い峠に着きました。広い駐車場では、業者の人が明日のまつりで地場産品直売をするテントを設営中です。乗鞍岳の山頂は雪が多いようですが、ちょうど今日スカイラインが開通しています。 写真を撮ると山頂に木がかかるの場所を変えなくては‥後ろを確かめると下に10cmほど段差あります。横に幹もあるのでそれを避けて1歩後ずさりしました。 『ゴンッ』後ろに下ろした右足のフクロハギから音がしました。棒で殴られたように感じ、横の幹を見ても出っ張った枝はありません。歩こうとすると‥ 強烈な痛みが走り、まともに歩けません。歯を食いしばりビッコを引き、必死で車まで行きました。業者の人は私を見て、さっきまでスタスタ歩いていたのにどうしたのという顔しています。 峠は圏外なのでアンテナの立つ所まで走り、ひよこさんに『今からおうちへ帰る』と伝えました。高速では急ブレーキはきついけど何とかアクセルは踏めます。4時間後、家に着きストックを頼って転げこみました。家庭の医学書を見ると「肉離れ」「下腿三頭筋断裂」「応急処置は冷やすこと」「すぐ医者に行くこと」 心配になりアイスノンを当て救急病院へ行きました。休日夜間でも意外に患者は多い。1時間半待ち、ようやく呼ばれました。レントゲンも撮り先生の診察『骨折はありません。虫に刺された様子もない。アキレス腱は大丈夫ですね』右足のフクロハギを触診すると腫れたように太いので左足も見せてと言われました。 左足のフクロハギも太い。『趣味は登山です』『それで太いのですか』触りながら痛いところ尋ねられます。『明日、痛みが増していれば月曜日に整形外科に行ってください。少なくなっていればこむら返りと思われます』『?!』小学生の時、水泳していてこむら返りになりました。 その時は子供だったのでその解除方法を知りません。その後の痛みを思い出しました。『あの時と同じだ』翌朝、痛みは減りまだ普通には歩けませんが、ストックなしでも歩けるようになりました。工女と歩けなかったのは残念至極ですが、こむら返りが山歩き中でなくて本当に良かった。 1週間前から確かにフクロハギの中心で若干の痛みがありました。しかしバンテリンを塗っても痛みは取れません。でも当日、その痛みもなく気にもしていませんでした。あれが予兆だったのかと思います。 翌々日さらに痛みが減れば、こむら返りだと安心できるでしょう。断裂なら入院でした。そうなれば数カ月のブランクとなります。しかし‥来年こそは工女さんたちと歩きたい。ああ、遥かな野麦峠。 さて最後に謎かけです。病院で待ち時間に考えました。「こむら返りと掛けまして 禿げてしまった頭と解きます。その心は‥ある毛ない(歩けない)」 |