54“道草セレクション:キスリングの奇跡

 このところ天候が思わしくなく予定が立ちません。さて最近「道草セレクション」と称して初期の頃の道草を再掲載していますが、一種の手抜きでございます。また以前からの訪問者の方には申し訳ありませんが、近年ご訪問頂けるようになった方にご紹介させていただく目的もあります。

 東海岳行を始めた頃、毎週のように山行して岳行ノートを作っていたのですが、どうしても山行ができない週がありました。その時、記憶の沼に沈んでいた山に関するお話しを3つ思い出し大道草にしました。それが「キスリングの奇跡」「藤原岳の危機一髪」「山頂のレーザー光線」です。

 それだけのネタしでその後は山に関係ないお話しばかりでお茶を濁しています。一番最初の大道草「キスリングの奇跡」は作るのに苦労しました。舞台となった燕岳は、いつか登らなければなりません。



1.
入部
 
受験戦争の末、やっとたどり着いた大学で思い出作りを目論みます。ワンダーフォーゲル部(ワンゲル)の勧誘説明があり、一年生は10キロ以内、2年生からはそれ以上の装備を担ぐルールとのこと。また山での食事準備は、2年生の役目と新入りには敷居を低くしています。

 私は即座に入部し、初登山までにバイトをして登山靴とキスリングを準備したのです。キスリングとは、黄茶色の帆布製の大型ザック(右下写真)で左右に大きなポケットが付いています。頑丈ですがそれ自体が重く、高さ60cm、横幅が何と90cmです。つまり身体の幅よりも外にはみ出るリュックです。

 さて初めての山行訓練は、心ときめくものでした。あがたのグランドへ真夜中に集合です。そして闇の中を何十人もが列になり黙々と街から郊外、郊外から山道へと夜を徹して何時間も歩きました。やがて広い山頂に着き、寒さに縮んで日の出を待ちます。そして素晴らしい夜明けです。

 雲海の中、遥かな山並みの向うに小さな富士山が見えました。感動が、身体の底から湧き上がります。登った山の名を先輩に尋ねると
『ここは、美ヶ原だ』と教えてくれました。この後、湖畔でのテント泊訓練や一泊登山を経験し、いよいよ夏の合宿です。


2.合宿
 それは三泊のアルプス大縦走。場面場面の記憶はありますが、残念ながら山名の記憶がありません。国鉄のある駅に降り立ち、駅前で全員がキスリングの中身を点検します。歩き出すと目的の山が見えました。

 しかし余りにも遠くでそびえ、その距離が途方もないことを知らされます。やがて登山道となると陽がまともにあたり、汗がとめどなく落ちてきました。吸汗速乾繊維など無く、上から下までぐっしょりです。それより何よりキスリングは、肩に食い込み呼吸をするのが苦しいほど。

 蛇行する溝道を登りながら
『もうだめだ。もう歩けない』と何度も何度も思いました。やっと最初の休憩指令が出て座りこみます。水を飲み、震える手で飴玉をひとつ口に入れました。10分後、再び重いキスリングを担ぎ歩き出すとあら不思議、死ぬほどバテていた身体はすっかり復活しています。

 糖分パワーは凄いと思いました。しかし短時間の回復力は、きっと18歳の若さだからでしょう。



3.下山
 テント泊では一晩中の強風で怖くて眠れません。飯盒炊飯では残雪で米を炊く水を作りました。そして全ての登頂が終わり下山にかかります。急峻な崖の山腹道をおっかなびっくりで歩いていました。

 右下を見ると岩だらけの沢が樹間から遥か下に見えます。20m以上の高さがあり、登山道は片足しか置けないほどのか細い道です。怖さから身体を左の山側に寄せたいのですが、はみ出たキスリングが当たりそれもできない。先輩が、後から大声で草や枝をつかむなと言います。

 注意されても手は、無意識に草や枝をつかむ。私の前を歩く関西出身の女子は、168cmでポッチャリ型の一年生です。昨晩、入部の動機は思い出作りねと笑顔で言いました。突然、
『あっ』彼女の小さな声‥。足元を見ていた私が頭を上げ前を見る。


 彼女
が、左手に折れた小枝をつかみスローモーションで谷側に傾く。突然、目の前の展開は早送りになりキスリングが軸の後回りで崖をグルグル回転しながら落ちる。すぐ姿は崖の草や木に隠れた、、、、、

 全員が息を殺す‥‥‥‥‥
『どん』 鈍く小さな音。と、同時に信じられない光景が眼に入る。キスリングを急いで外す一人の先輩。急峻な崖の下草を両手でつかみ滑り下りる。眼をかっと開き、獣のように速い。他の先輩たちも次々と降りてゆく。こんな訓練もしているのかと一瞬思う。

 今思い返してもその勇気ある行動は尋常でない精神力。残った先輩たちは、動揺する我々に声を掛け落ち着かせる。崖の山腹道から慎重に下山し、小広い場所で座って仲間の帰りを待つ。長い時間が過ぎました。やがて二人分のキスリングを背負った先輩と空身の彼女が歩いてきます。



 全員が立ち上がりました。彼女は、手の平に擦り傷作っただけです。彼が紅潮した顔で
『落ちた場所は、運良く岩が無い所でキスリングが丁度下になったとき着地しました』と小声で話します。先輩たちも安堵の表情です。しかし待つ間、私は自責の念に悩まされていました。

 あの瞬間、固まって何も出来なかった。どうして支えの手を出せなかったのか。先輩の比べ、非力な自分が惨めでした。歩きながら彼女に謝りました。
『そんなことない。私が悪かった。枝を頼ってはいけないのにつかんでいたから』と心配りの言葉で逆に慰められたのです。



4.その後
 後日、私はこの事故を契機に退部し、彼女は卒業までワンゲルを続けたようです。私の思い出作りはギターに代わり、役目を失ったキスリングは帰省のとき、旅行かばんとして4年間活用しました。

 今、横長のキスリングは縦長のリュックに進化しました。2年生の役割だった飯盒炊飯をもう山で見ることはありません。時代も変わりました。あの頃若者の世界だった山は、中高年になった彼らの癒しの世界です。私もその一人ですが、ワンゲルの経験が、何一つ身についていないのが残念でなりません。

 彼女が、今の軽量リュックなら事故はなかったかもしれません。でも助かって良かった。本当に良かった。だから私も30年以上経ってからですが山へ戻ることが出来ました。あのときの教訓で登山は、安全が第一だということを忘れません。



◆その時の写真を実家で見つけました。山名を親切な訪問者の方に教えていただきました。上から2枚目の写真は燕岳頂上で、下段中央が18歳の私です。
◆3枚目の写真も頂上近くの奇岩で撮ったとわかりました。左端が奇跡のキスリング女子18歳です。しかしどんなコースを辿ったかは依然不明です。


 
2013.09.02(月)23:35