大74 “広重の逆襲” |
新聞を見て安城市歴史博物館で「生誕220年広重 雨、雪、夜 風景版画の魅力をひもとく」が開催されることを知りました。7月22日〜9月3日の期間で初日に記念講演会「広重か北斎か-広重の逆襲-」が行われます。いつも書き込みいただいているトミさんの地元なのでお誘いして出かけました。(下左)
講演会は定員80名で予約は不要です。14時開始なので1時間前に入館(観覧料500円)、最前列を席取りし、まず作品鑑賞に行きます。保栄堂出版の東海道五拾三次をメインに、江戸を始め全国の名所絵など主要作品154点が展示されていました。作品毎の解説板が面白く、見終わるとすでに14時近い。
急いでホールへ戻ると聴講者は150人に膨れ、立ち見も出るほどで満員御礼です。やや年齢高めの熱心な皆さんが、開始を待ち構えています。講師は名古屋市博物館副館長の神谷氏です。(下右) 1時間半の予定が2時間を越える大熱弁となり、とても興味を引く内容で、さすが専門家の懐は深いと思いました。
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さて広重は、北斎と良く比較されます。北斎は百姓の子として1760年に生まれ89歳で没しました。早くから才能は突出し、まさに天才で最初から一流の版元がついています。有名な富岳三十六景など浮世絵で初めて風景を主役にしたのは彼で、将軍様のお目見えも得ました。
一方、広重は北斎より37歳年下で、1797年下級武士の子として誕生。36歳の3月隠退し、画業に専念します。この年秋に幕府の御馬献上の行列に加わり、東海道で京都に行ったとされていますが、引退してるのにそんなことあるのでしょうか? 翌年、37歳で弱小の版元保栄堂から出版した東海道五十三次が大ヒット。
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広重の東海道五十三次(53の宿場に江戸・京都を加え55画)は江戸日本橋から始まります。朝焼けの空、木戸が開き、魚市場で仕入れをした魚売りが商売に向かう。朝立ちの大名行列、2匹の犬がじゃれています。画は、39cm×29cmです。どうやら彼は日本橋を名所として描きたかったわけではないようです。
画の右上、にじんで読みにくいのですが「日本橋 朝之景」とあります。東海道の全宿場を描こうとすれば、どうしても似たような光景が続くでしょう。また「名所」「名物」をテーマにしていたらアイデアが似通ってしまう。そこで天候(雨・雪・風)、時刻(朝・夕・夜)などを組み合わせ、詩情豊かに描いています。
※版画は何枚も刷ると木版がすり減り作り直します。左の日本橋は、雲を省略し人を増やした絵柄に変わりました。広重の意図は無くなっていますね。これを「変わり図」と呼びます。 |
この「箱根 湖水図」は傑作。パッチワークのような岩の表現がユニークです。
誇張された勾配で峻険さが伝わります。右下で大名行列が直登していますが‥登れないよ。 |
「沼津 黄昏図」(右)、夕闇が迫り中央に月が昇り始めています。四国の金比羅さん詣でのため天狗の面を背負う父親とお遍路姿の母子が向こうの宿場へ急ぎ足。『もう少しで着くぞ』感傷的な月景画です。 |
「蒲原 夜之雪」 特徴の少ない蒲原宿を想像力で傑作にしました。
トミさんは静岡に住んだことがあり、この辺りは雪は降らないし、ましてや積もらないそうです。
でも雪のふわっとした質感、人影もまばらな夜の街道の心細さが感じられ創造力の賜です。 |
「藤枝 人馬継立」 早朝の慌ただしい宿駅の様子。
当時、荷物は何度も馬を変え人を変えて輸送されました。人足の数を確認したり馬の背に荷を積み変えたり、生き生きと描かれています。ところが中央で沢山の荷物を持つ赤フンおじさん(上右)、こんな持ち方したら脱臼しますよ。実は広重はデッサンが、北斎より上手くなかったのです。
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その証拠にもう一枚、愛知「池鯉鮒(知立) 首夏馬市」 毎年春に馬市が催されました。
夏草が茂った野に風を感じる。水平な線と斜めの線の組合わせが爽やかさを醸し出します。
ところが↑左端の馬群をアップ こちらを向く馬ですが、ぼっちゃんのようなタテガミの顔。身体にめり込んだ両足が描かれています。これではデッサンは得意とはいえませんね。では北斎のデッサン力を見てみましょう。
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北斎漫画は、北斎が絵手本として発刊したスケッチ画集です。描きだしたら止まらないよう。
欧州では「北斎漫画」が北斎の代名詞的な作品。評価はデッサン力の素晴らしさにあります。
そして構図力は‥ |
富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」
右に弧を描く大波は、小さな富士に集約します。波間の三艘の船は完全にピンチ。迫力ある構図です。 |
富嶽三十六景「甲州石班澤」
遠くの富士、漁師の網と岩で相似形の三角形を描いています。おしゃれな構図ですね。 |
広重は北斎をライバル視していたようで‥北斎の富嶽百景を見た感想で「絵組の面白きをもっぱらとし、不二はそのあしらいにいたるも多し‥」とチクリと言っています。北斎が生きているとき、そんなこと言ったら大炎上です。もちろん北斎の没後に発表されました。
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広重に戻ります。滋賀「庄野 白雨」は最高傑作の一つ。庄野の宿場はどこ?
絵の中にこれといって見当たりません。白雨‥突然のにわか雨を描きたかったのです。
強風に揺れる竹藪のシルエットが奥行きを表しています。彼は雨の画家とも呼ばれました。
ところで雨を描いた西洋の絵画を私は知りません。広重の東海道シリーズは20種類も作画されました。特徴的なことは、この絵のように人物は後ろ姿が多くその表情・感情がわかりません。因みに北斎の東海道シリーズは7種類。
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広重59歳の時、「名所江戸百景」を制作。超大作であり、画業を総決算する記念的な傑作になりました。特徴的なことは、一部を描き全体を想像させるトリミングです。
「浅草田圃酉の町詣」 浅草鷲神社の参拝者の列を猫が見ている。熊手を持つ人がいます。→
祭礼は毎年11月酉の日に行われ「鷲づかみ」に通じ、商売繁盛の神様として人気がありました。
画の左下に着物がちらり、その下に詣で買った熊手のかんざし↓、右下に化粧落しのグッズ↓。妄想がかき立てられるトリミングです。でも11月に障子開けてたら寒くない?
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同じく名所江戸百景より「深川州崎十万坪」
深川は江戸時代に造成された埋め立て地。まだ不毛の土地を大鷲の勇壮な目で鳥瞰しています。外国人にこの絵を見せると『こんな風に見える場所はどこにあるの?』
発想が理解できないのです。大鷲をトリミングした近景、筑波山の遠景。大鷲の爪が左上にちらっと見えます。ダイナミックな構図です。
ひょっとしたら北斎の影響を受けてるのですか? と思えるのは、このシリーズは構図に驚かさせることが多いからです。 例えば次の名所江戸百景のように‥
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(左)「大はしあたけの夕立」 隅田川に架かる大橋で激しい雨中を走る人々。川と橋が傾斜した構図でとらえ動きが見事に表現されています。雨の画家にふさわしい画ですね。複数の極細の長い線は交差しています。広重の画に応えた彫り師と摺師の職人技があったからの傑作だと思います。
(右)「亀戸梅屋鋪」 近景を大写しに遠くを遠望する構図でつかみはOK牧場。版画でここまで古木の質感を表現したことに感動します。左隅を拡大してみると→ 今まで気付かなかったのですが、高札がトリミングされていることがわかりました。
さてこの2枚の画は、ゴッホも感動したようです。 |
ゴッホは、広重の作品を模写したり(左と中)、タンギー爺さん(右)のバックにも描きました。ところが彼は模写した広重ではなく北斎を絶賛していて「まるでチョッキjのボタンを留めるのと同じくらい簡単に楽々と人物を書いてしまう」と北斎漫画のデッサンをベタ誉めしています。
しかしゴッホが所蔵した400点以上の浮世絵版画には、ベタ誉めの北斎は1枚もありません。彼は生涯で1枚の絵しか売れなく貧しかったのです。作品のお値段は北斎が10倍以上したので買えない。印象派のモネは、睡蓮の池を自宅の庭に作るくらいお金持ちで多くの北斎の作品を所蔵していました。
東海道五拾三次は、私は今まで5回ほど色々な場所の展覧会で見ているのですが、専門家の話を聞いた今回が一番印象に残ります。ところで広重は逆襲しなくても存在感、作品の価値は揺るぎないと思います。彼は62歳没しました。
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