92     “ジョンは焼きそば

 学生時代の音楽仲間の一人ゴンちゃんは、卒業して企業で働いた後、米国に渡り、苦労して生活基盤を作りました。彼とは20年前に帰国したとき会いましたが、コロナが減速し6月末、久しぶりに帰国すると知らせてきました。

 兵庫県に住む仲間の家に集合して歓迎会をします。宴もたけなわ、彼は28歳の時、志を持って渡米したのですが、語学力の低さに打ちのめされました。そこで語学学校に入ったのですが、やがてお金が底をつき、アルバイトで食いつなぎます。

 日系の超高級ホテルで働いてた時、最高級スイート・ルームに中東の金持ち夫婦が宿泊しました。テレビが点かないとフロントに怒鳴り声の電話が入ります。困ったマネージャーからゴンちゃんは頼まれ、すっ飛んで部屋に行きました。



 リモコンを押してもやはりテレビは点きません。念のため蓋を取り、一度電池を外し再度きちんとはめてみました。そうするとテレビが点きました。

 お客の夫は、『素晴らしい!』と拍手して大喜び。『来なさい』 彼を手招きしてチップを100ドルくれました。マネージャーに言うと『君にくれたんだから貰ってきなさい』

 もらったチップで最高額だそうです。今なら14000円の価値になります。彼はジャズが好きなんですが、私が今もビートルズマニアしてると話すと、『自慢話になるけど、43年前ジョン・レノンと話したことがある』 聞き捨てなりません。



 43年前は、ジョン・レノンが5年間の音楽活動休止を終え、活動を再開した年です。ニューヨークでオーガニックの日本食レストラン「コタン」で働いていました。

 店名は、アイヌ語で「ムラ・集落」という意味です。ある日、店の前に黒のリムジンが停まり、3人の男女が入店してきました。彼はホール係だったので迎えると何とヨーコ・オノジョン・レノンと若い女性です。

 ヨーコさんは先頭で店内を颯爽と進み、ジョンは後ろからひょこひょこ歩きで付いていきます。当然のように一番奥の一番いい席に陣取りました。ヨーコさんは真ん中で右手にジョン。オーダーを取りに行くとヨーコさんは、『私とこの娘はすきなべ』



 お高いのですが、評判が良く人気のメニューです。『あなたは何にするの?』『ぼくはやきそば』 何とジョンと日本語でやり取り。

 焼きそばは廉価メニューです。ゴンちゃんは思い切って、『失礼ですが、ジョンレノンさんですか?』と聞くと『アイム ポール・サイモン』とジョークで返されました。

 リムジンを見た人々がどんな有名人が来てるのかと入店したのでいつの間にか満席です。支払いはヨーコさんがされ、普通10%ほどのチップですが20%頂きました。この年の12月8日、ジョンは自宅前で凶弾に倒れました。
2023.07.09(日)23:20