岳行ノート

茶臼山・縞枯山 2384m・2403m/長野県茅野市
2009年10月4日(日)



-坪庭にて-
(溶岩台地の向こうに縞枯の山肌)



 紅葉便りが、そろそろ伝わり始め落ち着きません。乗鞍岳は良さそうだ、でもクマ騒動があったし‥恵那山の山頂も見頃のようだ、でもそれは先月末のレポだったし‥

 実は7月頃からお天気とピッタっと合わない計画があります。それは、麦草峠(ムギクサ)から茶臼山縞枯山(シマガレヤマ)の周回コースです。ここは展望が抜群ということ。

 今年6月、麦草峠より南の丸山に登ったとき雷様に襲われ、その怖さが抜けなく、晴れ確定日を待っていました。ようやく遠出の価値がある快晴予報です。



 教科書はるるぶ社刊「山頂駅からの山あるき」、参考書は信濃毎日新聞社刊「信州高原トレッキングガイド」です。

駐車場周辺図
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麦草峠P

茶水池

大石峠

滝分岐

中木場

展望台⇔▲茶臼山

大岩展望台
(ランチ)

▲縞枯山


雨池峠

ロープウェイ山頂駅

坪庭周回

森林浴展望台

狭霧苑地

駒鳥の池

麦草峠P

 ※赤線はGPS軌跡

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」


江南:午前5時35分発  18℃
    晴れ、時々縞枯れ現象
往路:2時間35分(小休止含、縞枯山まで)
復路:3時間25分(坪庭周回30分含)
◆歩行:6時間



 10/12まで開催している稲沢市祖父江町の「サンドフェスタ」の砂像を見てきました。ちょうど東海テレビが取材中です。

 三匹の子豚を襲った狼が、裁判員制度で裁かれています。これらの像は、雨が降っても崩れないのかな?

 翌朝、恵那山トンネルを抜けると一面の霧。諏訪インターで降りる頃から青空が広がってきました。ここ麦草峠公共駐車場は、既に路肩へ車が溢れています。
(9:20)

 駐車場前のメルヘン街道を少し東へ行くと登山口があります。気温10℃、標高は2127m。何と恵那山2191mに近い標高でスタートです。




 数分歩けば、いいひらかな、いいかんじの茶水(チャスイ)の池。山歩きのツカミはOK牧場。ワクワクするロケーションです。

 天気の良い午前中に展望所を制覇しておくため二山の縦走から始めましょう。 





 池で分岐を茶臼山に選びます。すれば北八ケ岳の特徴、苔と岩、針葉樹の原生林です。あ〜カラマツの薫りが芳しい。




 やがて大石峠の手前から木道もなくなり歩きにくい岩ゴロ道になります。鬱蒼としたシラビソの森を我慢の登りで‥
(9:40)

大岩が集積したピーク、好展望の中木場(ナカコバ)2232m。空には無心の青色が充満しています。
爽やかな風を受け第1回目の休憩を取りました。左が第1目標の茶臼山、右が第二目標の縞枯山
縞枯模様は1年で1.7m上昇するそうです。ちょうどその下を通る登山道で茶臼山を目指します。
(9:55)





 再び、超歩き難い岩道の急登。振り返ると南の丸山白駒池への展望、ちょっと紅葉のサービスを受ければ文句も出ません。




 着きました、樹林に囲まれる茶臼山山頂2384m。ここの三叉路分岐を西に100mほど歩くと‥
(10:40)

『すごい!』圧巻の大展望地です。 左奥は北八ケ岳、思わず八つ峰があるのか数えてしまいます。
その右で雲から顔を覗かしているのは、南アルプスの甲斐駒ケ岳仙丈ケ岳でしょうか。
中央アルプス、北アルプスの下に広がる伊那谷が、アフリカの大地溝帯のような渓谷に見えます。



北に目を転じると溶岩ごしに右から横岳、平たい山頂の蓼科山
久しぶりに双眼鏡を覗くと遠いスカイラインには槍ケ岳穂高岳も望めます。
その左下には、車山のスキー場斜面と気象観測ドームも見えました。『来て良かった、大満足』
(10:45)



 岩ゴロ道を降りた鞍部は、縞枯現象核心部。私たちも身体のあちこちで縞枯現象が起きる今日この頃。朽ちた木は卒塔婆か。
(11:10)

 五辻への分岐を見送り、最後の大岩急勾配を登りきります。道標で右へ分進むと‥


 縞枯山東峰2387m展望台です。丸山高見石のように大岩石が累積しています。前方右が30分ほど前にいた茶臼山です。
(11:30)

 先ほどの道標まで戻り、そこの小広場で風を避けてランチにしました。
(11:40)〜(12:10)




 緩く稜線を辿ると縞枯山山頂2402m、本日の最高点です。いつも気になる私の酸素欠乏症が、出ないのが嬉しい。
(12:25)




 標高差100mの樹林を降り雨池峠へ到着。これから先、もう大きな登降はありません。広々とした空間で木道を行くと‥
(12:55) 




 八丁平には縞枯山荘。稲のような麦草(イワノガリヤス)が茂っています。風力発電のプロペラの音を聞き、更に木道を進むと‥
(13:05)




 途中、坪庭の道と合流しますが一方通行で中には入れません。ピタゴラス蓼科ロープウェイ山頂駅前でリュックをデポします。
(13:20)

観光客に交じり、横岳の噴火で出来た溶岩台地の坪庭を時計周りで30分ほど散策しました。
縞枯斜面を背景にハイマツのような低いシラビソと溶岩。不思議な光景が広がります。
標高2237mの山頂駅に戻り、道標が示す森林浴展望台方向へ足を向けました。





 ロープウェイ客の散策する場所には、木道がありどんどん歩けます。苔むす林床を進むと‥




 森林浴展望台
は、道から少し飛び出ていました。西向きなので午後は逆光です。この先、数分歩くと木道は終わります。
(14:10)

笹分けの道を進むと山頂鞍部から降りて来た道との合流点五辻です。
東屋を過ぎたころから岩が増え、歩く速度がガタ落ちします。
昨日は雨、ぐちゃぐちゃの道も今日はよく歩きました。




 車の走る音が大きくなるとメルヘン街道に出合います。注意して横断し、小橋を渡れば狭霧苑地(サギリエンチ)です。
(15:00) 


 国道沿いの登山道を歩けば、湿地に小さな駒鳥の池。ここから駐車場に行けず麦草ヒュッテを回り込むのが少し悔しい。
(15:40)

 標高差わずか350mの等高線の旅は、疲労もわずかですみました。
(15:50)


東海岳行

    “白い雲の夢2”

 40年前、天から降りてきた奇跡の旋律で作った曲を名古屋のラジオ局でチェリッシュが歌ってくれました。それが9/16岩籠山「白い雲の夢」の道草でした。今回は、それから一年後の学生時代のお話です。




 ある夏の夜、アルバイトから帰ると下宿のおばさんが『NHKから電話がありましたよ』と伝えてくれました。

 翌日NHKに電話するとその人は夏休みで1週間不在と言われます。この1週間が実に長かった。

 後日、その「あなたのメロディ」のプロデューサーから連絡が入りました。この番組は日曜日の午前に放送され、視聴者の作った曲を毎週5曲程プロの歌手と演奏で発表します。番組の終わりには、ホールの観客の一番拍手が多い曲をもう一度アンコールする構成でした。



 この番組から生まれた「与作」(北島三郎)や「空よ」(トワ・エ・モア)は名曲です。

 さて私が応募した「白い雲の夢」が採用され1ケ月後に収録するので上京してほしいとのことです。

 電話を持つ手が震えるほど嬉しかったです。当日は、4人の友人と一緒に東京へ向かいました。私は交通費は出ますが、彼らは観客なので手弁当です。しかし、それは心強かった。NHKに着くとまず司会者のアナウンサーとお話しします。彼は愛知県出身で、結構くたびれた靴を履いてひと安心。



 なぜなら貧乏学生の私は、よそいきファッションは持っているはずもなく一兆羅の服に汚れたスニーカーです。打ち合わせの最後に彼が私の靴をチラ見したので少し不安になりました。次は歌のリハーサルの見学です。オーケストラをバックに歌手の弘田三枝子さんとボニージャックスが、眼の前で歌うので大感激しました。

 左の写真で前列右端が弘田三枝子さんでその左が私です。収録が始まると司会者は、ぴかぴかの靴に履き替えていたのでやられた感じ。

 私の曲が終わると彼の横に並びます。『どこのメロディーが好きですか?』と打ち合わせにない質問。びっくりした私は音痴気味に少し口ずさみます。



 そして審査委員長の山本直純さんが、ピアニカを吹きながら『変わった歌ですね』と評価しました。アンコール曲は伊豆大島から来られたお爺さんの大島音頭。

 その歌のバックで踊るかすりを着た3人の美人高校生が目を引きました。収録後、この方と住所交換し『遊びにいらっしゃい』という言葉を真に受け、1ケ月後、私は友人と本当に島へ行きます。その時、あの美人高校生と再会できなかったのが残念でした。

 それはとにかく放送後、何週間か経つと出演料が送られてきたのです。当時のバイト代の3日分くらいあり、心はご機嫌。その中には、ラジオの放送料もありました。この番組は、テレビとラジオの同時収録をしていたのです。そのことがまた一つ思い出を作ってくれます。



 その年末、私は友人とスケート場へ行きリンクを滑っていました。コーナーを過ぎ直線でスピードを上げようとした時、BGMで『♪青空広がる丘の〜』と私の曲が突然流れます。『???』滑るのを止め、一人ベンチで座って聴きました。頬が急激に熱くなります。誰も私の曲だと知らないのに何故か恥ずかしくなったのです。

 『どうして私の曲がここでかかるのだろう?』しばらくBGMを聴いているとその理由が分かりました。「あなたのメロディ」は、半年に一回視聴者のリクエストが多かった曲を特集していたのです。ということは100曲余りの中から選ばれたわけで喜びが込み上げてきました。しかも、その放送料が後日送られてきたのです。

 最初に貰った1/10の金額でした。『これ印税?』その後、私は音楽とは関係のない会社に就職し、少しは曲を作りましたがメロディーを生み出す能力は衰えました。でも15年後、ひょんなことから作曲を再開した私にもう一度奇跡の旋律が下りて来たのです。(このしつこい自慢話は、またいつか‥)

2009.10.05/21:15