岳行ノート
湖東七低山一日駆け(T)  標高合計1634m

2009.12.18(金)江南6時00分発    晴れ後、曇り   1℃


照る社殿 心惹かるる 尖る峰
(太郎坊山)

 『あった!』竜王山の駐車場で一晩、野宿したひよこさんの登山靴は無事でした。(先週ネタです)

 湖東平野には、低山が点々と島のように浮かんでいます。そこで恒例のお正月低山一日駆けをその琵琶湖東方面で企画しました。候補の山を調べると山中に寺院・城跡があり、歴史の薫りがプンプンし好奇心がわきます。


 地理的に京に近いことや水陸交通の要衝でもあり、見通しのいい低山に寺院や城が作られたのでしょうか。チョコっと登るには勿体ないくらいで、ガイドブックにもこの辺りの低山縦走が紹介されています。時間をかけた歩き方をする前にダイジェスト的に登ってもいいとおもいました。

 ところが大寒波が襲来し近々林道が閉鎖されるようです。そうなると春まで待たなければならないので、お正月の計画を繰り上げます。小型ザックに防寒着を入れ、ウォーキング・シューズを履いて身軽に歩きましょう。


 参考書は、山と渓谷社刊「新・登山分県ガイド 滋賀の山」です。そのほか沢山のHPにお世話になりました。また企画を練っていた9月には、近江八幡のKさんから地元ならではの低山時情報を頂き感謝します。

 
 @太郎坊山
    ↓
 A船岡山

    ↓

 B瓶割山

    ↓
 C繖山
    ↓

   D〜F

 ※赤線はGPS軌跡

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」


@太郎坊山(タロウボウヤマ)350m/東近江市 <登降時間>50分  P→


 八日市インターで名神高速を降ります。ここの5月の「大凧まつり」は有名ですが、残念ながら私は未見です。

 勝運の神様、太郎坊宮までは車で登られます。南向きで日当たりがいい駐車場に一番乗りです。さあ第一山へ出発。
(7:45)



 表参道の石段を上がると右に御霊水の龍神舎。そこを潜りプレハブ小屋の脇を入ると山道になります。

 ここ阿賀神社は昔、この岩山で修行していた天狗の太郎坊さんから太郎坊宮と呼称されるようになりました。





 トラバースして尾根に登り、分岐を赤神山(太郎坊山)へとれば…
 

岩頭の山頂です。右は西隣の小脇山374m。これから巡る山も見えます。
まず中央奥の低山は瓶割山234m、左の細長い林が次の船岡山152mです。
気温は3℃と冷蔵庫より低いのですが、風がないので惨めになりません。
(8:10)
 龍神舎まで戻ったら裏参道で帰ります。

 夫婦岩
の80p幅に割れた隙間を益々の夫婦和合を祈願し通り抜けます。

 もしもあの世でひよこさんに会ったら声を掛けてもらえるでしょうか?

 笑顔で並んだ七福神、特に弁財天に御利益を祈ると駐車場です。(8:35)

A船岡山(フナオカヤマ)152m/東近江市 <登降時間>10分  P→

第二山「万葉の森」船岡山へ向かいます。望見すれば、ほとんど丘陵です。
七低山は、移動時間を含め一山一時間としてプランを練ります。
短時間で登降できる超々低山を入れ、時間に余裕を持たせなくてはいけません。しかし…





 駐車地が不明で一周してやっと東側に見つけました。絵地図で確認し石段を登ります。大岩に挟まれた祠を右に折れ…
(9:00)



 自然林の中、遊歩道を行くと展望櫓のある山頂です。しかし階段は、ロープで使用禁止。木が腐ってきたようです。
(9:05)

 駐車場にいったん戻りました。
(9:10)





 南端の阿賀神社に回り、少し登ると歌碑があります。かの万葉集にこの辺りが出てくる歌があり、建立されました。

B瓶割山(カメワリヤマ)234m/近江八幡市  <登降時間>30分  P→

敵に包囲された柴田勝家が、城中の水瓶を割って部下に決死の決意をさせたお話があります。
「瓶割り柴田」の異名を持つ彼が守った長光寺城(別名:瓶割城)の城跡がこの山にあるそうです。




 鳥居前のロープを外せば登山口まで行けます。それは後でわかったことで路上駐車してアーチを潜って滝に向かいました。
(9:40)





 不二滝(フジノタキ)は、3mほどの高さで滝行の場です。ここを左に曲がり日吉神社を経て登山口に着きます。

 そこから10分で規模の大きな石垣。応仁の乱の頃に築城され、城跡「一の郭」は広く展望も良好です。

 湖西の蓬莱山1174mが冠雪しています。手前の低山は第七山八幡山272mです。


 土橋を渡って「二の郭」に行くと三等三角点の頂上234m。ここは展望がありません。
(10:10)

 同じ道で足早に下山します。次の山はロングコースです。車で向かうと…
(10:10)

C繖山(キヌガサヤマ) 432m/安土町 <登降時間>70分  P→



 繖山山頂近くの観音正寺が小さく見えました。「繖」は難しい字です。ここは東と南に林道があります。

 雪が降れば利用不可です。東は来年1月末まで工事通行止でした。南の林道は、12/26から3月まで閉鎖です。

 南の道を上ると料金所のおばちゃんが『はい500円!』う〜む、麓から登る時間がないので仕方ありません。

 林道終点に駐車場がありました。麓からの石段・赤坂道を5分ほど歩くと仁王像に見降ろされます。
(10:50)



 この観音正寺は聖徳太子の時代、創建605年です。平成5年にこの本堂は全焼し、平成16年に再建されました。

 好展望の広場から本堂に上がり、総白檀の観音様を拝顔します。そして城跡・三角点の道標から本堂奥の山道を辿りました。





 15分ほどで二等三角点があるパノラマ山頂432m。山と平野と湖…確かにパノラマと思わせます。
(11:35)

写真正面、北東に薄化粧の伊吹山1377m、
左端、琵琶湖畔の低山は荒神山261mです。
来た道を戻り、観音城本丸跡へ向かいます。
 竹林が風に擦り合う音が不気味です。15分で城跡着。1468年の築城ですが、後に信長が入城し佐々木氏に守らせます。

 やがて安土城とともに滅亡しました。今も遺構の発掘調査が続いています。紳士コートの方が擦れ違いに挨拶されました。

 駐車場に戻るとエネルギーはマイナス表示。どこかでランチしなくては…ひよこさんが疲労を訴えます。『奥の手を使うか』
(12:10)
        [山旅は次回へ続きます]


東海岳行
     “クリスマス・プレゼント”

 木村さんは忙しかった。とにかく良く働きます。地方から名古屋の私大に入学し、そのままこの地で就職しました。そこは高級布団の製造販売会社でテレビCMがユニークで知名度は急上昇しています。彼は名古屋周辺のあるエリアを担当しセールスに励みました。勤めて3年目になります。




 社用車のバンに布団のセットをいくつも積み込み走り回っていました。5年近く付き合っている洋子さんは大学の同級生です。彼女は三重県の自宅から通学していました。卒業後は地元の金融機関に勤め、週一の休日にデートを続けています。

 当時、若者の間ではクリスマスに光り物をプレゼントすることがトレンドでした。その年、木村さんもそのつもりで何カ月も前に指のサイズを聞いています。洋子さんは、イブにクリスマス・ケーキを作るからと自宅に招待しました。

 当然、そこには両親も同席しているし、そこで指輪をプレゼントすれば、ただのアクセサリーではなく婚約指輪になります。二人とも口に出さなくてもそこは理解し合っていました。



 さて一般家庭では、高級布団を現金一括では中々買えなません。そんな時、分割払いを勧めるのがセールス・トークですが、木村さんはお客に『借金までしては…』と言われると退いてしまうので個人売上はよくありません。給料は歩合の割合が大きく、セールスの押しが今一つでは平均以下の額でした。

 ある日、仕事の途中に宝石店に寄ってみましたが、それなりのものは全く可愛げのない値札です。しかしクリスマス・イブまでには、ボーナスや預金も合わせて何とかしなければなりません。そうしているうちに月日はどんどん過ぎました。

 当日は休日ではなく、洋子さんに仕事が終わってから行くので夜7時頃になると伝えます。道すがら、あの宝石店に寄りました。成績の悪い彼のボーナスは、やはり大したことありません。でも何とか全財産をはたいてもいいから買えるものはないかと探します。



 洋子さんは居間を飾りつけ彼を待ちました。すると7時前に『8時過ぎる』との彼からの電話。両親には先に食事を取ってもらうように話しました。そして8時半やっと「ピンポ〜ン」 お腹は空いていましたが、彼女は怒っていません。

 彼は一生懸命仕事をして遅れたのですから。ドアを開けると姿が隠れるほどの大きな包みを抱えた彼がいました。彼女は微笑んで『どうぞ』と言います。『はい、クリスマス・プレゼント』とドアをかろうじて通った紙包みを玄関に置きました。

 母親が顔を出し『まあ〜大きなプレゼントね』包みを居間に持っていき、洋子さんが開けると高級布団セットが現れました。それは彼の売り物の商品です。



 私はこの話を知人に聞きました。『クリスマス・プレゼントが布団ですか!』最後の場面を想像して笑いです。日本中でそんなものを彼女に贈ったのは彼くらいでしょう。しかも現金では買えなくて給料天引きの分割払いで買ったそうです。指輪はとても手が出なかったのでしょう。

 その後、木村さんはセールスマンに向いていないことを悟り、事務系の仕事に転職しました。やがて彼女と結婚し、二人の子供にも恵まれ平凡ですが幸せに暮しておられます。あの高級布団セットは、客用として押し入れにあるそうです。

2009.12.21/10:10