岳行ノート

奥の平(御池岳・池巡り2)1241m
滋賀県東近江市

2011年12月12日(月)


結氷した幻池


 先月の11月末、御池池守さんに御池岳の30箇所はある池の18ヶ所を案内していただきました。すると1週間後に『今度は東ですね。案内しますよ』

 心を見好かれたようです。残りの池の場所を教えて頂いたのですが、分からないものも沢山あります。それでも自分で探すのが大人の常識。

 と思っても願ったりかなったり、ありがたい。早々と第2回の池巡りをすることになりました。アプローチの国道306号線は、間もなく冬季閉鎖です。


 道路通行止で無い事を確認し、名神高速関ヶ原ICを降り、365号線で南下。黄金大橋南交差点を右折し306号線で鞍掛トンネル方面へ向います。

 事前の池の確認は「御池池守のブログ」、ノート・道草作成には近藤郁夫著「御池岳 風物語・雫物語・霧物語」にお世話になりました。 
<駐車場>
[-]広域図、[+]詳細図、ドラッグスクロールで移動


国道306号線駐車地

@幻池

奥の平

Aマユミ池、龍神のヌタ場

B東池、青のドリーネ

C奥の池、D新池<雫池>

黒のドリーネ

▲東端峰

ザウルスの背、
E空池

カタクリ峠

国道306号線駐車地

 ※赤線はGPS軌跡、黄●は分岐
赤●は今回未訪の池で御池岳池巡り1参照下さい。

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前6時15分発   曇り/4℃
駐車場:午前7時55分着   曇り/5℃
往:2時間20分(奥の平まで以下、小休止含)
復:2時間25分
◆所要時間:4時間45分
 国道306号線は、平成26年末までガス管工事で所々1車線になっています。コグルミ谷300m手前のスペースが駐車地です。車道を5分で登山口、谷の右岸から入ります。(8:10)

 8年振りのコグルミ谷は、深い谷に変わりました。谷沿いの道は整備され、歩くのに苦労はしません。

 岩盤上を岩が流れ、岩肌は磨かれたように真っ白。タテ谷分岐を過ぎると‥

 御池岳唯一の木橋。右岸に長命水。↓道の崩壊で迂回路が示されてます。サワグルミの大木が目立ちます。
(8:50)


 五合目標識を過ぎオオイタヤメイゲツ群生地を急登してカタクリ峠。標高1000m近くで雪が出てきました。
(9:20) 
峠から御池岳へ緩く登ります。県境を辿り、七合目を過ぎ登山道を外し右折。
3分歩くと斜め左下に幻池です。結氷に新雪が乗り、神々しい雰囲気。

近寄り池中の倒木に仏の姿が彫られてたら手を合わすでしょう。
池守さんが初めて確認した時より随分大きくなったそうです。
一面が積雪なら池の姿は良く分かりません。いい時に来る事ができました。
(9:45)


 池から西へ降ると↓谷の分岐です。春は、瑞々しいバイケイソウの群落地。淡雪を山頂方向へ登ります。
九合目を過ぎると最高峰丸山1247m直下の分岐。
丸山へは寄らず、左折して東に奥の平を目指しました。
(10:15)




裸木の岩尾根、5分で抜けると広大な台地が拡がります。
以前、平泳ぎで進む笹海でした。ピークに奥の平の標識が小さく見えますが、何だか‥



む、
む、
む、


“霧氷”です。



青空バックで無いのが惜しい。ちゃんとエビの尻尾もあります。→
ボタンブチへの分岐を過ぎると‥

 奥の平1241mは、丸山より6mだけ低い。10年前のガイド本「笹原を切開いた小さな空地に標識が立つ。展望は無い」
(10:28)

今、笹はありません。


 草地を南へ降りると‥数年前に確認されたマユミ池。斜面にマユミ(真弓)の木。昔はこの木で弓を作りました。
(10:36) 


 池を巻き東へ行くと龍神のヌタバ。この辺りはドリーネ村だ、このような大きなものが次々と現れます。
(10:40)


 ヌタバから南東に深い窪地に水量の増えた東池。ドリーネの底に穴が無ければ池、穴が開けば池は消えます。
(10:42)


 進むと参考書の著者近藤郁夫氏が、名付けた大きな青のドリーネ
イタリアのカプリ島青の洞窟がありますが、ロマンを感じる名です。

(中央上に池守さんの姿)本の裏表紙→と同じアングルでカシャッ。↑
 厳冬期2月の14時頃撮影されましたが、偶然出会ったのか粘ったのか?
(10:47)

 御池岳最南の奥の池奥の平の中央部にあり、幅が10数m。樹木とカレンフェルトに囲まれたいい池です。
(10:51)

 池守さん『池ではないけど深いドリーネがあるので行ってみましょう』と言われます。すると‥
 『おっ、池になってる』以前、笹藪を漕いでいたM嬢が、ここへ落ちました。助けを呼ぶ程、深かったそうです。

 最南にある新池、まだ名は無い。『整いました。名はさいなんの池』最南とMさんの災難をかけました。

 その後、確認した池守さんと相談し、新池は雫池(シズクイケ)。(10:56)

 新池は、参考書の近藤氏の三部作からあやかりました。形も雫に似ています。

 次は黒のドリーネ。積雪の時、青でなく黒く見えたからその名です。御池岳の頂上台地の端へ向かい‥
(11:01) 

南側に好展望の東端峰(トウタンポウ)の岩場でランチします。
丸山から直線で約900m、遠くまで来ました。重い空が残念。
中央ピークが藤原岳天狗岩1171m、その右が展望丘1140mです。
(11:05)〜(11:20)


 北へ淡雪の山肌を斜行して100m高度を下げます。上の群れる露岩は、サウルスの背
(11:47)

 小さな尾根に乗り、東へ降ります。3分で芯を外し、右斜面へ下降。大きなドリーネの空池(カライケ)。

 池と思われていた所ですが、池守さんが水が無いことを確認し、その名を付けました。回り込んで尾根へ戻ります。
(11:53)
 尾根から真の谷に。(12:10) 左折し、進むと、このトチノキの大木に出合います。(12:14)

 谷の二俣は右を取り、北東のカタクリ峠まで緩い登りです。(12:23)

 峠からコグルミ谷を降り駐車地へ戻ります。広大な御池岳を名ガイドのお陰で効率よく周回できました。(13:15)


東海岳行
   “お花と幸助  

 三重・滋賀の鈴鹿県境稜線は、甲賀市油日岳から北上し、仙ケ岳御在所岳藤原岳等の山頂を順調に辿ってます。次の御池岳で山頂を外し三国岳で山頂へ戻り、霊仙山でまた山頂を外し、やがて関ヶ原へと降って行きます。この外し方が謎でした。

 池守さんに尋ねると『県境は基本的に分水嶺に引かれている』 確かに地形図で県境のカタクリ峠を見れば、三重・滋賀の分水嶺となっています。謎が解けました。御池岳を源頭とする流れがいくつもあります。麓ではその水を農業に利用しました。昔は旱ばつになると川の水利権争いが大変です。

 御池岳お花池幸助池には、伝説があると聞いていました。参考書の近藤郁夫著「御池岳 霧物語」には、多賀町教育委員会編「多賀町の民話集-ふるさと近江伝承文化叢書」(1980年3月)の一部が掲載されています。その貴重な内容を紹介させて頂きます。




 滋賀県犬上郡甲良町北落「お花と幸助」の伝説。北落は鈴鹿山中を源とする犬上川によって米作りをする純農村地で、耕地の大部分が水田です。

 昔から犬上川の流水量は少なく、田用水の不足がちな地域で旱ばつ常習地でした。お花はこの北落集落の生まれで、評判の美人。近郷、近在の若者達の誘惑は絶えません。

 それが元で重い病に倒れたお花は、鈴鹿岳の八大竜王に「もし私を元の体に戻していただけるなら、自分は一生お池の竜王に仕え、夫と呼ぶべき男を持たない事を誓います。万一、この誓いにそむくことがありましたらならば、どんなとがめも受けます」と祈願しました。



 願いが通じたのでしょうか、身体は前にもまして健康になり、美人となってお花は全快しました。我が家を清め、屋敷にお池の八大竜王の祠を建立。神に仕え、大鈴鹿岳にも度々祈願しました。大鈴鹿岳の登り口にある大君ケ畑(オジガハタ)の宿に逗留するうちに、一人の若者と知り合いました。

 若者はコウスケ(幸助)と言い、旅人の案内人だったらしい。二人は相思う仲となり、日毎に逢瀬を重ねました。お花は神に仕える身でありながら幸助と別れることができません。お花の秘密を知らない幸助は、夫婦の契りを結ぶことを迫りました。

 幸助
の熱心なプロポーズに負けたお花は、神への誓いも忘れ夫婦となることを承諾。晴れて世帯を持った二人でしたが、破局は余りにも早く訪れました。



 二日も経たない間に、痩せこけて昨日の面影はなく、今にも死にそうなお花の姿に不思議をいだいた幸助は、お花の身に何か、たたりがあることを感じ、問いただすと、お花の今迄の身の上を知りました。

 驚いた幸助は、お池の竜神は犬上流域の郷を守る大神であり、犯してはならない神への誓いを反古にしたお花を責めると共に、知らないこととは言いながら、お池の神に仕える“花”を汚した我が身の大罪を悔み、鈴鹿山中の、カックイの水で身を清め神に祈願しました。

 お花の黒髪を切り、鏡に添え祈りながらお池に身を投げました。すると、水面は急に渦を巻き、幸助の姿を呑み込んでしまいました。竜神は、「お花の心変りは許すことが出来ないが、幸助のお花を思う気持ちに負けた。自分はこの池から離れ昇天する。



 お前達二人は、私の身代わりとなり、この池を守って犬上流域の旱ばつからみんなを守るように」
と言って昇天されました。

 お花もお池に身を投げ、二人は池の竜神となり、旱ばつが来ると近在の人びとはお池に登り、雨乞いをしたということです。犬上川の水喧嘩は有名で、犬上ダム建設は昭和7年の水争いが動機となった。ダムは、昭和21年完成し、以降は雨乞いは無くなりました。



 本には、更に興味深いことが書かれています。池守さんが訪ねられた大君ケ畑の古老が、1995年7月に語ったお話です。現在御池は笹枯れ状態ですが、古老は前回枯れた時を見てられます。それは1950年代半ばで、60年経つとジネグが来ると言われました。ジネは地根という字と思われます。

 そのお話からすると次は2010年頃‥驚きです。現在が、笹枯れマックスに近いかもしれません。それなら楽に歩けられる今は鈴鹿詣でのビッグ・チャンス。


2011.12.17(土)22:30