岳行ノート

高賀山 1224m/岐阜県関市

2009年8月24日(月)


登山道沿いの笹に揺れるクロヒカゲ

-幼虫の頃に食べた笹の匂いを懐かしむ-


 三歩進んで二歩下がる。秋と夏の高気圧が、綱引きを始めました。しばらくは季節合戦を傍観しましょう。さて高賀山は、8年前の晩秋以来です。

 この山に二つの謎があります。一つは以前登ったとき、山頂でランチしてたら突然、北から団体がガーッと登頂しました。『そっちにもルートがあるの?』

 私が登った道は、南からの一般コースなので驚きました。その後、今回教科書にしたガイドブックを見て高畑温泉方面からのルートがあるのを知りました。


 後日、現地で捜索しましたが登山口未発見です。あの道が、生きてるか山頂で確かめたい。二つ目は、地形図にある峰稚児神社からの別ルートの確認です。

駐車場周辺図
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 教科書は、風媒社刊「こんなに楽しい岐阜の山旅100コース 美濃下」です。参考書は「高賀癒しの里」にお世話になりました。




高賀の森P

御坂峠

▲高賀山

御坂峠

峰稚児神社

展望地

高賀の森P

 ※赤線はGPS軌跡

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」


江南:午前8時15分発  25℃
   晴れ後、謎解き歩き
往路:2時間25分(小休止含)
復路:3時間05分(神社周回1:20含)


 258号線を走ると正面に今淵ケ岳が見えてきました。高賀山は稜線の左方向です。選挙カーに抜かされる。


 高賀神社前の御影石の大鳥居をくぐり、三角形の自然公園駐車場到着。準備をして草道へ向かいました。
(10:15)


 夏の高気圧で100点の青空。幅広の道を歩けば、汗ばむのに時間はかかりません。

 8年前、この東屋横に駐車しました。右カーブする林道を辿ってみると、見る限りでは問題ありません。

 下山時、上手くいけばこの林道で降りられるかも。往きは「高賀登山道」
(10:35)


 沢音を運ぶ風が、涼感を乗せる。汗が、Tシャツから飛ぶ。『沢は、山の汗』 山も冷やすため汗をかく。


 沢の橋が朽ち、上に新橋を乗せました。「ここが二重橋、、、糖尿だょおっ母さん」50年前の歌:島倉千代子。
「高賀登山道」はシンプルです。人力で作られた石段が稜線まで続きます。
途中岩塊の斜面があり、材料は現地調達だったことが分かります。

いつ何年かけて作られたのでしょう。信仰の道だからでしょうか。大したものです。

 やがて巨大な岩屋。二階建ての岩屋比丘尼岩(ビクニイワ)と呼びます。せきすいさんが、艶かしいとレポに記載。
(11:30)

 間口4m、奥行5mと広く、かつては山仕事の人が寝泊りしていました。


 岩屋からふと上を仰げ、素晴らしい緑の透光が降り注いでいます。紅葉はどんなものでしょうか。

 稜線が見えたら御坂峠到着。よっせーさんが11年前峠に着いた時、すぐ下の中美濃林道にガックリしました。(12:10)

 帰りに謎をこの御坂峠から確認します。


 稜線は緩やかな道。のんびり登り、緑の空間が青に変わり振り返ると‥ 

南に高賀三山、左:瓢ケ岳(フクベガタケ)1163m、右:今淵ケ岳(イマフチガタケ)1048mが間近です。
高賀山1224mと合わ三山を1日で登る方も見えます。三山を結ぶ登山道はあるのでしょうか。

 先着のご夫婦にご挨拶、山頂ランチです。西に「板取側への下山はできません」との注意書に×

 灌木を分け北の尾根へ50mほど降りましたが、あの登山道は生きているようです。一つ目の謎の正解をいつか‥
(12:40)〜(13:05)
 山頂でチョウが沢山舞っています。

左)キアゲハ:一番大型で他のチョウを追いかけエリアを主張していました。
中)ツマグロヒョウモン:オスですが派手で飛翔すると目立ちます。
右)ジャノメチョウ:地味で臆病です。かなり後翅が欠損しています。 

 周囲はかなり木が茂ってきていますが、西に遠く能郷白山、手前右下が日永岳です。
右周りで眼を転じると白山乗鞍岳御嶽山‥のはずですが、雲がかかっていました。
では二つ目の謎解きに御坂峠へ向かいましょう。








 地図左下の駐車場から「登山遊歩道」を辿り高賀山登頂。降った御坂峠が、上写真です。
(13:30)

 写真左から峰稚児神社へ。入り組んだ道を南下し、宮下林道に合流し東屋へ戻りたい。

※左地図は東屋にあり、そこが現在地になっています。
10分の急登で峰稚児神社(ミネチゴ)。2mの大岩に石段があり、2mの祠を礼拝できます。
ここは高賀神社の奥の院。江戸時代に円空さんが雨乞祈祷をしました。
毎年4/29には、子供の守り神として子供神楽が奉納され、登山大会も同日開催されます。
(13:40)

ここからいくつも道があり、10分ほど探索しました。
結局、御坂峠まで戻り、尾根道の右隣にある山腹道を歩きます。
その道は地形図にも載りますが、最近笹刈りされたようです。


 絵地図ではV字形の道で、その尖った場所がこの写真。赤テープがあり、笹刈りの道を降ってみました。
(14:00)
 尾根突端、高賀川への展望地です。古いテープが崖下に続きますが無理せず戻ります。(14:05)

 V字道の探索を続けると崩壊地にロープがかけられていました。そこで疲れが出て探索中止。

 斜面を這い上がり、峰稚児神社経由で御坂峠まで戻りました。(14:50) 


 探索に1時間、謎の答えは出ません。森は4時に薄暗くなります。高賀神社で参拝して帰りましょう。
(16:10)


東海岳行

    “バンドの弱点”
 
 今年の3月に学生時代の旧友、ヴォーカル森井、ベース稲田からメールがありました。ヴォーカル森井は関東で公務員を退職し、4月から北陸で先生になるという。そんなルートがあるのかいと言う感じです。ベース稲田は定年延長し、そのまま尾張で会社勤めしています。

 昨年「ちょっとミッシェル」(08年4月)のコンサートを今年は名古屋でやりたいと述べている。私たちは学生時代、ビートルズのコピーバンドをしていました。そのコンサートでは♪ミッシェルなどを3人で9曲演奏しました。彼らはヤル気でもちろんギター山たまごもいいよということで、4月から練習開始。

 ベース稲田が仕事終わりに私の家へ来て、新しく選曲した10曲を二人で合わせます。毎週やるのですが、早弾きに指が付いていかない。曲の構成が覚えられない。例えば「一番・二番・間奏・一番の繰り返し‥」でも少しづつ内容が変わるので難儀です。ギターのメロディが覚えられない。歌詞も覚えられない。



 記憶が迷子になり中々思い出せません。2時間もやってると気力の電池が切れてしまう。昨日より今日、何かを得ることが「成長」と言うなら一日一日何かを失っていく。我々は‥そう「老化人」。まあ、ややこしい曲はやらなければいいわけです。

 6月予定のコンサートは伸びに伸びて8月下旬(日)に名古屋の貸しスタジオで決行。その前に何度かヴォーカル森井が来名し、3人で貸しスタジオで練習をしました。若くてうまいバンドが、バシバシ演奏しているのが聞こえます。オジサン・バンドは始めグズグズでしたが、幾度か練習すると何とか様になってくる。

 ところで誰が聴きに来るのか。中心は旧友でしたが、名古屋までの集客は困難を極めます。10人の予定が、前日までに5人に減り、当日蓋を開ければ3人。しかし、ご陽気に『わん・つ・すり・ふぉ!』で開始。昨年演奏した曲を含め20曲ほどです。3人対3人ですから緊張することはないのにとちってばかり。



 ♪イエスタディでは、ヴォーカル森井から私のテンポが速いとクレームがつく。♪レディ・マドンナは、コーラスをするとリズムが狂うのでギターに専念します。

 その曲が終わるとボーカル森井が拍手をくれた。身内で慰め合う。最後の♪イエローサブマリンでは3人とも間奏で迷子になりどこにいるのかこんがらがる始末。

 皆で打ち上げに向かう車中、来年もやるのなら作戦を考えなくてはいけないと話し合いました。「大焼きそば会」をやるので来ないかと誘いをかける。そのアトラクションでオジサン・バンドが演奏をするとか、私たちの演奏で歌ってもらうとか、奇術をやるとか‥



 名古屋栄の打ち上げで飲んだ「キリンフリー」は、キリンのプリウスと評価が高いけど酔えません。翌日私は、高賀山。ベース稲田は仕事。ヴォーカル森井は名古屋で用事。ところが私とベース稲田は、別の発表会にエントリーしているので、その練習を再び開始しなければなりません。

 この日の曲目を忘れることは簡単だけど、また新しい曲を覚えることは容易ではない。でも老いの坂も友と歩けば楽しいものです。
2009.8.26/11:15