2011年4月13日(水) 伊吹山スハマソウ(洲浜草) スキー場跡お花畑にて |
|
百名山伊吹山の南に位置する弥高(ヤタカ)山と伊吹山スキー場跡付近のお花畑を散策しましょうと「ジオンと山歩記」さんからお誘いをいただきました。 弥高山には戦国時代、北近江を支配した京極氏の城跡・寺跡など国史跡が一帯にあります。その中の「詰の城」上平寺(ジョウヘイジ)城は、1523年落城しました。 その後、京極氏は再興し、明治維新まで大名家として存続したのです。500年以上前の歴史跡を辿り、春の野花を巡る山旅はナイスな企画で参加しました。 メンバーは、9名のパーティです。 参考書として多くのHPにお世話になりました。 |
<登山口駐車場> [-]広域図、[+]詳細図、ドラッグスクロールで移動 |
上平寺P ↓ 伊吹神社 ↓ 本丸城跡 ↓ 弥高寺跡 ↓ ▲弥高山 ↓ 伊吹五合目 (ランチ) ↓ パラグライダー 基地 ↓ 伊吹山登山口 ↓ 三之宮神社 ↓ 二合目 ↓ 民間駐車場 ※赤線はGPS軌跡 黄丸は分岐 ■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江 南:午前5時15分発 6℃快晴 駐車場:午前6時35分着 4℃快晴 |
往:2時間30分(弥高山まで以下、小休止含) 復:3時間45分(お花畑寄り道撮影:約1時間) ◆所要時間:6時間15分 |
関ヶ原インターで下り、国道365号線の藤川交差点で右の里道に入ります。上平寺地区で右折、集会所前が駐車場です。 メンズ5名、レディース4名で坂を登ります。 (7:30) |
|
伊吹神社本殿近くには、京極氏一族のお墓や庭園がありますが、先が長いので寄り道はしません。 参道は登らず桐ヶ城跡(上平寺城跡)の道標で左へ進みます。 (7:45) |
|
植林のジメッとした登山道は、沢沿いから尾根へ一気に上がりました。すると掘られた道になり、しばらく歩くと‥ |
|
人工的に造られた細い土橋、小規模な堀切を渡ります。城を攻めるにはここを通るしかありません。 渡れば両側の土塁から攻撃されます。地形を活かした山城の特徴です。 |
|
三の丸跡、二の丸跡と続き「主郭へ→」の案内で右斜面を上がります。土塁に囲まれた一番広い曲輪(クルワ:平坦地)。 京極氏が築いたこの山城は、標高669mの標高に50m×300mと大規模です。 (8:40) |
|
主郭(本丸)から道へ戻り、進むとまた堀切です。 この尾根上の山城は、東西の崖、北と南の堀切に守られる形で建造されています。 NHKの大河ドラマ「江」に出て来る小谷城も同様の作りになっていました。 登山道から西方にこれから向かう尾根が見えます。 ズームアップすると弥高寺跡↑が、棚田のようです。 大堀切から5分ほどで二俣分岐がありました。 ←案内板の「伊吹山五合目→」方向ではなく左道へ入ります。 |
|
トラバースの道となり、やがて行く手には残雪が覆いかぶさる。ここは慎重に雪上にステップを刻み渡ります。 後ろほどステップがしっかりつき、歩きやすいのです。私は後ろから二番目。アイ・アム・ステップ泥棒。 |
|
宝篋印塔の分岐→では、行者谷方向の右斜面へ登ります。 その行者谷には、石室がありますが、鍵がかかっているので中は見られません。そして‥ (9:20) |
|
標高715m、国史跡の広大な弥高寺僧坊跡。1512年に大火災があり、現在は何もありません。 礎石を一個発見。寺院は平安時代に建てられ往時は60坊もあり、京極氏の城郭の役割も果たしました。 左に近くてこんないい天気なのに霊仙山1084mが霞んでいます。 (9:20) |
|
そして自然林を歩くと10分ほどで大堀切。寺院に似つかわしくありません。やはり城郭の役割があったのでしょう。 やがて斜面を登ると伊吹山が正面に見え、左へ折れるとすぐ‥ |
|
雪で折れたカヤトのピークに出ます。南へ笹藪を少し漕ぎ、目印の木のテープ向こうで『ここだよ!』と上機嫌な声のもとへ行くと‥ |
笹に隠れた弥高山山頂の四等三角点。これは見つからない他力本願寺。よく探したものと感謝感激、ロスタイムゼロです。(10:00) |
更に伊吹山へ尾根を辿りました。振り返ると弥高山(右ピーク)が見えます。→ 弥高山から20分、900mピーク手前で左へ折れますがうっかり過ぎました。 藪に当たって気付き、左の樹林の中にテープを見つけます。 そこから尾根道よりトラバースの道へ移ります。 |
|
山腹を切る道はしばらく続き、左折点から30分ほどで五合目の山小屋が見えてきました。 |
|
小屋はまだ閉鎖されていますが、前のテーブルでランチ開始。メインはチーズカレーうどん、実食! 食事中、伊吹山からパラパラと10人くらいの登山者が降りてきました。山頂の雪はもう少ないそうです。 (11:20)〜(12:20) |
|
五合目から降って行くとリフトが撤去されたスキー場跡に春の花がチラホラ。三合目付近であちこちと歩き回ると‥ セツブン草、スハマ草が足の踏み場もないほど群生しています。『さあ収穫だ、お祭りだ』と画像採取マシンで撮りまくり。 |
|
左:セツブンソウ(節分草) 中:アマナ(甘菜)とスハマソウ(洲浜草) 右:キバナノアマナ(黄花の甘菜) |
|
30分以上撮影するとカメラのメモリーが『堪忍して下さい』と涙声で訴えます。 可愛そうなので止めて三合目の閉鎖された伊吹高原ホテルへ向かいました。 |
|
他の撮影隊が戻らないので風花さんとパラグライダー発進基地へ行くと‥ケイタイが鳴り『三合目の公衆便所にいる』 それはやむを得ないことなので一旦、伊吹高原ホテルへ戻り‥ |
|
三合目の下山道を降りました。(13:45) 二合目を過ぎ‥(14:00) |
草原を軽快に進みます。一合目で林道を渡ると登山道になりました。そして‥(14:10) |
登山口到着。ケカチの水場、三ノ宮神社から車道を降り、民家の駐車地にデポした車で上平寺の駐車地へ向いました。 (14:30)→(14:50) ※登山したこの日の新聞に経営再建中の百貨店、丸栄(名古屋市)のトップ交代人事の記事がありました。 新社長は興和の京極修二氏。珍しい姓なのでひょっとしたら京極氏の子孫かもしれません。お逢いしたら聞いてみましょう。 |
|
福ちゃん、和たん、Kおじさん、ドルヂーさん、ジオンさん、そして風花さん、乱丸&のこさん、お世話になりました。岳行ノートには、皆さんから送って頂いた画像を使用させていただきました。重ねてお礼申し上げます。 |
|
東海岳行 |
|
“痛快先輩3” | |
もうお忘れになられたかもしれませんが、私の大好きな先輩の道草があります。「痛快先輩」、「痛快先輩2」ですが、今回3年振りに出演していただきました。時々食事会をするのですが、先輩は『君の話を聞くのが楽しみだ』とおだててくれるので私もネタを仕込んで参じるわけです。 その日、私がひと笑い取ったので先輩の得意分野に話を振ります。『思い出した』先輩が話し出すと面白いようにエピソードが次から次へと蘇るようです。Windows 7やWindows Vistaには対応できなくてもWindows 95のメモリーはしっかり残っているんですね。その誘い水は、学生時代の格闘技系に関する事です。 先輩は身体が大きい方ではありませんが、今もジムで筋トレをしていて鋼のような筋肉を持っています。休日は早朝と夕方に自宅付近を老犬と一緒に走ります。いつまでも走り続けるので犬が『もうよろしいのでは‥』と懇願するような目をするほどタフです。それに頼もしい正義感を持っています。 ある日、いつものように走り公園へ来ました。広場で男子高校生が2人でゴルフクラブを振っています。近づくと小石を打っていて危険この上ない。先輩が『おい!何をしている』と注意したらゴルフクラブを振り上げたのです。 格闘技で鍛えた本能は、こんな場合下がるとかえってクラブの標的になると判断。即座に彼らを睨みつけ、一歩前に進み出て『やるか!』と言ったら二人とも逃げだしました。私は『さすが、昔取った杵づかは衰えないものですね』と感心します。 『そうだ、こんなこともあった』と武勇伝は続きました。出勤のとき、名鉄電車に乗ると二人の男子高校生が、大股開きで座席を占有しています。先輩は、持っていた傘で足をより広げている方の足をたたき『疲れているから座らせろ』と睨みつけて言いました。二人ともすっと足を閉じ、その隣にどっかりと座ったのです。 『ところで会社の鬼叉さん知ってる?』と聞かれるので『さあ、知りません』『そうか、彼は小柄だけど名前のように顔は驚くほどこわもてなんだ‥』ある時、先輩はその方と二人で名古屋の地下街を歩いていたそうです。 すると前から歩いて来た不良が、突然鬼叉さんに体をぶつけ『何するんだ、ぶつかりやがって!』と因縁をつけました。鬼叉さんは、顔に似ず意外や臆病でうつむいて震えています。それを見た先輩は『お前がぶつかってきたんだろう』と言い返すと不良はブツブツ言って去って行きました。 その後、二人で喫茶店に入ったのですが、彼はお茶を飲んでいる間、目を合わさず一言も口を利かなかったそうです。それは怖かったのでしょうね。先輩は相当場数を踏んでいるようです。また何か思い出したようでお話しは続きます。 |