2012年11月7日(水) 三池岳 -秋の彩り感謝祭- |
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今春、釈迦ヶ岳から下山道で八風街道(ハップウ)を歩きました。途中「嘉助碑」「伊左衛門碑」の個人名の石碑があり、何だろうと首をかしげたのです。 調べるていく内に八風街道に興味が湧きました。そこで思い付いたのが滋賀県側から登り、県境の八風峠を越え三重県側に降りる県境横断街道プランです。 独りではできないので、水曜日(水曜日山行)のジオンさんにお話しすると山行企画になりました。今夏の焼岳2に続く「県境越え」第2弾です。 9名のパーティで時の流れにうずもれる古道を辿ってみます。東名阪自動車道の桑名インターで下り、国道421号線で宇賀渓へ走りました。 教科書は、西内正弘著・中日新聞社刊「地図で歩く鈴鹿の山」です。参考書に「ブナの木陰で」さんにお世話になりました。 |
<駐車地> [-]広域図、[+]詳細図、ドラッグスクロールで移動 |
※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 ■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江 南:午前5時55分発 曇り/10℃ 駐車地:午前8時25分着 曇りのち晴れ |
往:3時間00分(仙香山まで以下、小休止含) 復:2時間50分 ◆所要時間:5時間50分 |
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石榑トンネルで滋賀県へ抜ければ、すぐ左に八風キャンプ場入口です。邪魔にならないよう路肩に置車してゲートを越え出発。(8:40) |
八風谷林道を20分歩くと、左に「八風峠はここから→」の登山口道標です。ここから‥ (9:00) |
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踏み跡を進み川原に出て、右岸へ渡渉。登山口は623m、県境の八風峠957mで標高差は334mです。 植林には明解な踏み跡、崩壊した造林小屋を横に南へ進みます。 |
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200m毎にポイント標識が設置され「P番号3/12」↓を過ぎると、進行方向は東になり、この分岐表示。 (9:20) |
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「P番号5/12」を過ぎると敷石が現れ、古道の雰囲気が出てきました。 |
岩の転がる沢沿い道を辿ります。「P番号6/12」の先で窯跡を見ました。 |
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足元のもみじ葉の厚さで春から夏の過去推量できます。 至福の時間が過ぎていきました。左岸をしばらく歩いた後、渡渉 「P番号9/12」は右岸にあり、左岸へ戻れば植林の道です。 (10:15) 支流を横切る場所で道が広くなり、落葉で踏み跡が分かりにくくなります。 注意すると木にテープがあり、10分程で右カーブし進行方向は南へ変化。 「P番号10/12」(10:25)、「P番号11/12」を見たら右の斜面を注視します。 |
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涸れ沢を詰めて行くと斜面に支尾根へ登る道を発見。そこに取り付けばもう大丈夫。 |
雪ではありません。白い砂ザレの斜面を登れば県境稜線は間近です。 |
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山腹道を登り、写真右下から左に待望の県境稜線。道標で右折し、標高をちょいと上げれば八風峠です。 (10:50) |
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峠は花崗岩が風化した砂地の広場です。天狗の踊場といい、白い砂地を汚す事は戒められてきました。 1947年建立の鳥居は柱1本が60kgあり、20人がかりで麓から上げました。小休止して空身で仙香山へ。 (11:10発) |
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時々日が差すようになりました。山が忘れていた冬を思い出す冷たい風。私は風除けを羽織るのを忘れ、急ぎ足。 |
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稜線道から直で山頂まで踏み跡が出来ていました。手ごわかった笹は、チリチリパーマのようで膝下です。 (11:25) 皆さんに池を見つけてもらいたいので、稜線道へ一旦戻ります。 |
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70m歩くと『あった!』 右の笹斜面の向こう、光る池が見えます。 以前は笹が高くほんの少し見えただけでした。 (11:35) 仙香池は随分水面が広がりました。ひょうたん形で一周できます。 落葉した紅葉が池に浮き中々風情があり、景勝地のようです。 |
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大満足したので八風峠へ戻ります。2山目の三池岳が秋色の装い。中央ピークが三角点です。 |
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福井のひろろとろろさんも合流、ランチタイムです。 八風峠の風が来ない場所を確保、お店を拡げましょう。 (11:55)〜(12:50) リュックをデポして三池岳へ向かうと絶好の光線が、宇宙から八風東谷にあたりました。 感性を目覚めさせるように色彩のシンフォニーが轟き秋岳の谷を流れる。 宇宙の光線は、北にも拡がり明るい眺望ゲット。右端のピークが竜ヶ岳1100m。 中央少し黒っぽい峰は静ヶ岳1089m、左奥に薄いのは御池岳1247m。 |
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白い砂ザレのピークは、展望のよい県境山頂970.7m。100m南東へ行くと‥ (13:00) |
1.1m高い三池岳三等三角点971.8mです。展望は優れず、写真を撮り戻ります。 (13:05) |
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八風峠へ帰る前、南西方向に日が当たりました。 中央ピークが仙香山、その右凹部の手前ピークが八風峠です 『いい時に来ましたね』 紅葉は大当たり。 |
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八風峠で体制を整えます。峠から南東に降り、駐車地まで557m高度を下げ下山。 (13:40) |
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右側に三体の「坂中の地蔵」さん。1700年(元禄13年)から旅人を見守ります。因みに翌年、松の廊下事件。 (13:55) |
中峠から降りて来た道との合流点です。中峠への道は難路と手書されています。私も7年前苦労しました。降りていくと‥ (14:05) |
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右岸へ渡渉し、沢中を歩き、再び右岸の道へ戻ります。そこに古道の名残り、段差の小さな石段を見ました。 昔、荷役の人が背負いの荷を預け一服する「腰高石」が残されています。 (14:15) |
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川中にある南谷出合から左岸に行き、堰堤から降れば林道出合です。コンクリートの道は、驚くほど崩壊していました。 (14:25) |
良い道となり八風街道の旧跡「嘉助の碑↑」「伊左衛門の碑」を過ぎます。やがて旧射撃場南の駐車地に到着しました。 (15:10) |
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車回収に石榑トンネル経由で19km30分走ります。八風の大石へ寄り道。岩上は18畳、竜神の祠があります。 昔は村の寄合いに利用され『酒盛りだ』 簡単に登れます。笑顔は世界のパスポート。 |
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左より:ひろろとろろさん、ドルフィーさん、yakoさん、脱力登山家、みれさん、SIVAさん、福ちゃん、mayuさん、私、ジオンさん、水曜会の皆さんお世話になりました。 |
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東海岳行 |
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“嘉助と伊左衛門” | ||||||||
鈴鹿山脈を横断する峠は、北から鞍掛峠・石榑峠・八風峠・武平峠・根ノ平峠・安楽峠・鈴鹿峠があります。鈴鹿峠は標高380m程度で他の峠よりはるかに低く古来、人や物資の往来が多くありました。室町時代頃から山賊が出没したり、関所が設置され通行税が徴収されると往来は減少。 道が険しくても他の峠が利用されます。中でも根ノ平峠の千種越えと菰野町田光(タビカ)から永源寺町杠葉尾(ユズリオ)までの八風越えが多く歩かれました。 田光集落にある田光の辻に大ムクノキがあり、ここが八風街道の起点です。その隣に千年の歴史を持つ多比鹿神社があり、タビカの地名はここから来たのでしょう。 田光の辻から西へ歩を進めると左に草競馬場のスポーツ公園が見えてきます。ここの八風嶺鎮神社が八風峠に祀る「八風大明神」の遥拝所です。 伊勢と近江の国境の八風峠は「伊勢風土記」の記述から名付けられました。「八方」は東西南北に北東・北西・南東・南西を加えた方角。八方から山を伝う風が集まり、通り抜けるから八風峠‥ロマンに満ちた名です。 田光から近江八幡市の武佐をつなぐ八風街道は中世、近江商人が木地師の椀・盆や木炭・麻など山の物を伊勢に持ち込み、帰路は海産物を運ぶ重要な交易路でした。そういえば田光川沿いの道にあった踏み石は、重い荷を背負っても歩きやすい段差になっています。
伊勢より近江の方が商業的には勢いがあったのでしょう。旧八風射撃場駐車地から林道を八風峠に向うと途中「伊左衛門の碑」を見て「中の鳥居」を過ぎると「嘉助の碑」があります。二人は、近江へ奉公に行った青年です。元服式に田光へ帰る途中、大雪のためこの山中で行き倒れました。 「嘉助の碑」は、上の岳行ノートの写真ですと小高い丘にあるようですが、登ると旧道の路傍に置かれ、林道造成時に周囲が削られ丘になったようです。石碑の彫字は「文化??? 南無阿弥陀仏 俗名嘉助墓」となっています。石碑はお墓でした。年号が文化ということは約200年前です。
そこから2km歩けば切畑集落に着きます。二人はあと僅かな所で息絶えました。江戸時代の元服は16歳前後。その若さでこの世を去ったことで肉親や仲間は無念の気持ちを抱いたでしょう。村人のショックも大きなものと想像できます。二人の死をいたみ、村の若者達が二つのお墓を建てました。
やがて多くの人々が通行した街道も室町〜明治時代を全盛として衰退しまいした。明治後期になると八風街道を通る人も少なくなります。その頃、賑わいを戻す開発の運動が起きました。 明治44年、有志が田光の乗得寺に集まり、三重県知事を現地視察に招き陳情します。しかし、実現には至らず街道は寂れました。時は流れ2011年3月、八風峠の北1.6kmに石榑トンネルが開通します。 図らずも陳情から100年、この地で滋賀と三重がつながれました。国道306号線の鞍掛トンネルは全長745m、鈴鹿スカイラインの武平トンネルは350mと短く、積雪で長期間通行止になります。その点石榑トンネルは全長4158mを誇り、通行止期間の短縮が期待できそうです。 今回、このトンネルを利用して八風越えが実現できました。古道に登山者の踏み跡が刻まれ、歴史の道が残ることを期待します。 |