大83 “大崩海岸” | ||||||||||||||||||
今年10月25日、大谷崩(オオヤ)を登り、大谷嶺2000mに登頂しました。登山の動機は、新聞の文芸欄に載った幸田文(アヤ)著「崩れ」です。彼女は72歳のとき、大谷崩を見て衝撃を受けます。その後、各地の土砂災害の跡を訪ね著書を書きました。それで登山したのですが、大谷崩は、[日本三大崩れ]の一つです。 その三大くくりは、知りませんでした。[日本三大崩れ]は、◆大谷崩(オオヤ)2000m(静岡:1707年発生/下左)、◆稗田山崩(ヒエダ)1443m(長野:1911年発生)、◆立山の鳶山崩(トビ)2616m(富山:1858年発生)です。大谷崩の岳行ノートは、11月15日にアップしました。
たまたま5日後の11月20日(金)、NHKテレビ「中部ネイチャーシリーズ/立山カルデラ・崩れる大地に挑む」が放送されたのです。それは立山の鳶山崩(下左)のことで、崩れ現地の画像は迫力ありました。でも一般人は、イベント以外中々訪問できません。ところで静岡には、[駿河三大崩れ]があります。
富士山の◆大沢崩(上右)、安倍奥の◆大谷崩、静岡市・焼津市の◆大崩海岸です。大沢崩と大谷崩(漢字が似ていてややこしい)は見学していますが、大崩海岸は、存在も場所も知りません。有名な名所ではありませんが、行ってみましょう。山友の野良人さんと爺愛譲さんをお誘いました。
大崩海岸は、300mの絶壁・延長4km、1800万年前の海底火山の爆発で出来ました。「大崩」の名は、その地形と崩落が多いことから由来します。静岡〜焼津間は難所でしたが、以前は海岸に道路があり往来していました。海食が激しく昭和以降は、通行不能です。 その後、崖淵に県道を通しましたが、何度も土砂災害に見舞われています。2013年10月、焼津市側で路肩が崩壊したときは、復旧に3年半かかました。つまり開通してまだ3年です。階段があり、下りれば橋を下から眺められます。実は、凄い核心部があるので駐車場から車で県道を南下。
コンクリに埋め込まれた丸石を足がかりに急降。(下左) 野良人さん『こりゃ登山のかっこうがいるぞ』 行き止まりで左折して草道をトンネルへ向かいます。(下右) レンガ壁のトンネルは距離はないようですが、危険は侵しません。トンネル近くからアルミ梯子で海岸へ降りました。(下右) 海岸は、道路の構造物が転がっています。三人ともそのすざましさに声を失いました。昭和23年(1948年)9月16日、伊豆半島をかすめたアイオン台風で大崩壊した旧石部トンネル。今も赤煉瓦の固まりが海岸線に残ります。(下) 壊滅的な崩壊で復旧は諦め、新道が作られたのでしょう。 (上中央)赤いジャケットの爺愛譲さんが立つ所へ私も登ってみましょう。
大崩海岸は、30分の衝撃的な体験でした。さて静岡旅の第2部山旅へ走ります。 |