岳行ノート

焼岳 2444m/長野県松本市〜岐阜県高山市

2012年8月29日(水)


万緑にさらわれそうな上高地帝国ホテル(中央の赤屋根)

(山頂から中尾峠の道中、一瞬ガスが消えました)


 夏山も終盤に近くなり、山友乱丸さんから納涼アルプス日帰り登山をしましょうとお誘いをいただきました。焼岳新中の湯コースのピストンです。

 そのコースは2度歩いたので、下山は中尾温泉コースで岐阜県へ降る縦走をお願いしました。それは、登り4時間半で控えてましたが降りなら歩けます。

 パーティ参加の方も、そのクラシックコースを歩かれてないのでOKが出ました。私は集合地の平湯温泉安房トンネル入口の駐車場で前夜泊します。


 当日早朝、中尾温泉コース登山口へ車をデポ、8名が揃ったら岐阜から長野へと県境超え。国道158号線の登山口に駐車するまで1時間半を費やしました。

 教科書は、山と渓谷社刊「新分県登山ガイド 岐阜県」です。参考書は、岳行ノート「焼岳(2006.10.21)」を確認しました。
<駐車場>
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<登り>                                 <降り>
(左図)
10号カーブ゙P

りんどう平

焼岳北峰


(右図)
中尾峠(ランチ)

ゲート前駐車地

 ※赤線はGPS軌跡  ※●は主な分岐  ※は噴気坑  

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:前夜18時20分発 曇り/22℃
平湯P:前夜21時15分着 曇り/18℃
10号カーブP:午前7時15分着 曇り時々雨/18℃
往:3時間35分(北峰まで以下、小休止含)
還:3時間35分
◆往還時間:7時間10分
 さすが百名山、全国区の車が並びます。県境またぎ標高の旅です。
(7:30)




 標高を1600mから844m上げます。登山口で穂高が望めました。


 即、原生林に包まれるのが、このコースの魅力です。ブナの見事な大木、荒々しい自然がプロローグです。
うっそうとした森から開放感のあるりんどう平(2020m付近)に出ます。

コースの中間地点で左に南峰、右に目指す北峰と目標は明確です。
1962年の爆発で登山禁止、1992年北峰だけ立入許可になりました。
(9:00)
リンドウは、どれも閉じています。→

 低灌木を抜けるとえぐれた下掘沢です。旧中の湯コースには、進入禁止ロープがあります。
(9:20)

 今日は、眺望が良くありません。ここからがきつい所で酸素も薄く、一歩づつゆっくり登ります。

 下掘沢右岸を岩ゴロ道で詰めて行くと、12名の自衛隊が、下山してきました。2名の若い女性自衛官がいます。

 女性はWAC(ワック)と呼ばているそうです。北峰の溶岩ドームに近づくと硫黄の臭いが立ち込めます。

 火口壁に上がると背後に南峰2455.4m焼岳最高点で三角点があります。落石の危険があり、立入禁止です。(10:40)  

 火口を覗くとエメラルドグリーンの火口湖。湖岸には硫化水素が溜まることもあり、近づけません。ガスが山頂に登ってきました。

 溶岩ドームを回り込み、リュックをデポ。黄色の噴火孔から白煙が、ヒューヒューと噴き出ています。

 岩の○印を追い登っていきます。
 360度の白色世界、北峰へ登頂。標柱は2393mと記されています。南峰2455mとの差62mは感じられません。

 下の地形図で確認すると北峰の標高を、北西200mにある2393m標高点と勘違いしているようです。

 火山基本図焼岳北峰2444.3mとなっていました。両峰の標高差は11mで納得できます。(11:05)
山頂から火口湖を覗きに少し降りました。
4コマ上の写真で白煙を噴き上げている噴気孔と黄色の岩が見えます。
ズームすると中は黒く、山が怪我をしているようです。

活発な火山活動を間近に見られ、よく登山許可が出てると思います。
しかし、思い返せば過去訪れた北海道地獄谷、九州の霧島・別府温泉
箱根大湧谷、群馬草津温泉などで硫黄や水蒸気の噴出を見ました。


 空のガスと硫黄のガスに囲まれ、山頂でのランチ止めます。中尾峠へ下山しながら場所を探しましょう。
(11:30)

 大岩のゴロつく急斜面を辿ると進入禁止のロープの上に噴気坑。
下にも水蒸気の噴出が見られます。
 硫化水素が出ていたらヤバイ。息を止めて通過しましょう。
時々雲が流れクッキリビジョン。写真中央少し下の大岩辺りが中尾峠
右斜めに登り切ると展望台ピーク。その右にある緑色の屋根が焼岳小屋です。
1962年大爆発で中尾峠旧焼岳小屋は潰れ、6年後に新中尾峠で新築 されました。

 中尾峠に着き、草地でお店を拡げます。宴も終わる頃‥(12:20)〜(13:05)

 ポツンと来てカッパを着用。上着だけのつもりが・.・.・.と来たため、ズボンも履きます。

 峠からは樹林帯に入り雨はしのぎやすい。やがて新中尾峠からの道と合流。↓





 その標識板左の傷跡はクマの?
(13:20)

 鳥居に出合います。高山松倉城の城主三木秀綱は秀吉側に攻められ、中尾峠を越えて信州で自害しました。

 彼を祀る岩屋の祠は、秀綱神社です。
(13:35)


 登山道脇に小さな洞穴があり、ひかり苔がの少し見えました。先週笠置山で見たので苔の光がわかります。
(13:55)


 雨に煙る針葉樹の原生林は、迫力の巨樹群。「鍋助横手」の標識があります。昔鍋助さんが滑落した場所です。
(14:25)

 このルートの醍醐味は、道中の巨木です。巨木には「サワラ」「トウヒ」などプレートが付けられています。

 道の角に驚くほどでかいブナ! 直径1m以上あるでしょう。

そこからすぐ白水の滝(シラミズ)展望地。直線距離で500m離れズームアップ。
滝は、ここまで登らなくては見られません。ある意味幻の滝、落差45mで赤茶けた地肌が珍しい。
(14:55)

 雨は降ったりやんだり。展望地から草生す林道終点に5分で降りました。標識が「近道」と登山道に誘ってくれます。

 沢へ降りて木橋を渡ると林道に出合い、その先にチェーンゲートがあります。
(15:25)

 デポの車が待つ駐車場です。県境を跨ぐ壮大な縦走でした。車の回収に安房トンネルを抜け10号カーブ駐車地まで27km走ります。(15:35)

左より
 福ちゃん、Dollpyさん、私、yakoさん、Kおじさん、のこ&乱丸さん、お世話になりました。


東海岳行
   “人の話  

 ♪俺の話を聞け 5分だけでもいい〜 クレージーケンバンドの強烈な歌詞は、一生耳に残ります。人の話を聞くことは、小学校から始まりました。5分ではなく50分間耐えなくてはいけません。知恵が付くと聞くフリをして他事を考えたり、うたた寝したり。これが6・3・3・4年間続きます。

 平安時代の話を聞いても身近ではないし、電気分解を知っても何のための知識かわかりません。ところが先生の話を夢中で聞くことがありました。高校時代、頭髪の薄い先生が授業前に『今朝、危うく事故に逢うところだった』とその顛末を聞く時は、聞き耳を立てます。

 話が終わり、頭髪の薄い先生に私は『ケガなくて良かったですね』としっかり突っ込みを入れました。聞く側になると話す人自身の実体験は聞きたくなります。社会人になり講習会にしばしば出るたのですが、こむつかしい内容だと100%眠気に誘われました。



 冗談を言う人が話すと、次の冗談を楽しみについ話を聞いてしまいます。私も仕事で人に話す事が良くありました。何十人いても場数を踏み、人前で緊張しなくなりました。私の聞き手の経験から、話を聞いてもらうコツは、「ちょっと脇道・体験談・ちょっと冗談」の3要素です。

 高校の同級生から数年振りにメールが届きました。彼は山の会の係りで私のHPも知っています。「ヒルがイル」のコーナーを見て、支部の例会でヤマビルの話をしてと欲しい頼まれました。『いいよ、時間は?』『1時間程度で』ということで約束の日、集会所に行きました。

 山の会は、山行の報告、今後の予定などと進行。参加した私は興味深く聞いています。1時間後に私の出番になりました。30代から70代までの13名です。まとめた紙があった方がいいと思い、A4の用紙にヤマビルの特徴・生育環境・分布域・症状と対応など事前に作りました。



 タイトルを“ヤマビルなんです”にして駄洒落のツカミにしたのですが、久し振りの人前で上がってしまい、それを忘れ『ヤマビルに出合ったことがある方は手を挙げてください』と話し始めました。ヤマビルの話は30分で終わり、質問タイム。最後に話を脇道にそらします。

 13名の中で私のHPを知っている方は、幸か不幸か1名でした。「道草」のネタを披露しても大丈夫です。冷やす帽子(クールビット・キャップ)、帯の椅子(チェアレス)の話題では、実物を持参したので興味をもたれ、私が実演したら『やりたい』と言ってもらいました。

 サプリメントの話で『アミノバイタルは、登頂後に飲んだら疲れず歩けました』『70歳になると利かないよ』 なる程それなら、私は2袋飲んでみましょう。後日、山の会の方からメールを頂きました。『あの後、岐阜の妙法ヶ岳に行きました。子供がミミズの赤ちゃんがいると一言‥』



 お子さんのお腹がヒルの餌食になったそうです。人に話をする時の3要素「ちょっと脇道・体験談・ちょっと冗談」は盛り込んだつもりですが、内容を伝えるには別な能力がいるようです。

 


■山友に紹介して頂いたのですが、今夏に起きた「御池岳遭難顛末記」をご覧下さい。ご本人の報告で遭難は7日間に及び、40代の男性です。想像を絶する内容で驚きますが、自分の身に換え色々な事が示唆されます。山には、いつも謙虚であらねばと再認識しました。

 
2012.09.02(日)22:15