2010年11月4日(木) 赤色・栗色・柿色・様々に輝き、秋が深み行く (雨乞岳より 左:御在所岳 中:雲母峰 右:鎌ヶ岳) |
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鈴鹿には、「ブナ清水」「鈴鹿の上高地」「ダイラ」「セキオノコバ」など雰囲気が良い樹林帯があります。明るい二次林で特に新緑や紅葉期は癒しの地です。 いずれも訪れ思い出の場所になりました。雨乞岳の西方に位置する「奥の畑」も一見の価値がある草原地ですが、まだ未踏です。 雨乞岳は、以前杉峠から登頂し千種街道も歩きましたので「奥の畑」〜清水頭〜大峠と周回してみます。深まる秋に呑み込まれてみましょう。 教科書は、中日新聞社刊「鈴鹿の山 万能ガイド」「地図で歩く鈴鹿の山」「東海・北陸の200秀山(下)」です。参考書として「風花的日常」さんにお世話になりました。 |
<駐車地> [-]広域図、[+]詳細図、ドラッグスクロールで移動 |
「駐車地〜林道終点」の地図は、岳行ノート「イブネ」を参照ください。 ↓ 林道終点 ↓ 分岐 ↓ 奥の畑 ↓ 窯跡 ↓ ▲雨乞岳 (ランチ) ↓ 杉峠 (千種海道) ↓ 向山鉱山跡 ↓ 林道終点 ↓ 駐車地 ※赤線はGPS軌跡 ■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江 南:午前5時30分発 6℃晴れ 駐車地:午前7時25分着 6℃ |
往:5時間25分(以下、小休止含) 復:2時間40分 ◆所要時間:8時間05分 |
木曜日の朝7時の空、雲も風もなし。八日市インターで下り甲津畑町を目指します。集落から林道を3kmほど走り、渋川の橋手前で路肩に停めました。 (7:35) |
林道を70m戻ります。登り始めは、大正時代に鉱山の大八車が往きかったという岩ヶ谷林道です。10分で舗装は切れ、渋川を遥か下に見て上流へ。 |
善住坊隠れ岩(8:00)、桜地蔵(8:20)と過ぎます。藤切川と名を変えた流れを渡りれば、中世からの古道千種街道です。 (8:25) |
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すると林間に避難小屋があり、水場と直落WCがありました。この先の木橋も補強されていて関係者の御苦労に感謝です。 |
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そして木橋で左岸へ渡ると「←杉峠雨乞」の小プレートがくくられた分岐。この右方に鈴鹿国定公園と彫られた標柱があり、そこから奥へ進みました。 (9:05) |
いきなり山腹の崖道となり、奥の畑への気構えを持って臨みます。ここを廻り込んで降ると鈴鹿らしい岩の転がる河原です。 |
まもなく最初の渡渉地点。これから奥の畑谷を何度も渡渉します。その地点の流れは狭く浅いので苦労はしません。 (9:15) |
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左岸に渡り、沢音に沿って薄い踏み跡を辿ります。突然、森の天窓が開けた光景が眼に飛び込みました。 下の奥の畑には、さっぱりと魂を洗う秋の空。シダ原の中心に踏み跡が伸びています。 ここから15分ほど歩いてタイミングを測り、右岸に渡る箇所を見つけ渡渉しました。 (9:25) |
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川岸にあった小高い地形を登ります。どこでも歩けられる明るい森では、冬への取り換え工事が進行中。 落葉が済めば工事完了ですが、今日は休工中のようで、私のひそかな踏み音だけです。右のねじれ木がすごい。 |
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そして広大な平坦地、上の奥の畑です。その北端から南端へ歩き、リュックを下ろして休憩します。 つきぬける空、命の終焉に色づいた地表。新緑の時、ここは若いシダで活気づくのでしょう。 北端着(10:05)〜南端発(10:25) この後、数分行くと川岸の梢に赤布があり、そこから左岸へ渡ります。 また数分で渡り返し、再び左岸へ戻りとガイドブックを忠実になぞりました。 岸はずーっと歩けそうですが、地形に必然性があって渡渉を繰り返すのでしょう。 |
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GPSには、予めおおよその渡渉地点をマークしておきました。しばらく左岸を歩き、細くなった沢を渡ると尾根の激急登です。 途中、樹間に稜線の到達地奥の畑峠が、見えてきました。そろそろ奥の畑谷源頭近くの最終目標窯跡なんですが‥ |
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注意して行くとようやく出合いホッとします。沢の合流点に窯跡です。やれやれ、ここでリュックを下ろし10分休憩します。 (11:30) |
その後、安心した私は写真右の紅葉へ向かう踏み跡を登りました。そして東へ延びる笹尾根に方向も確かめず足を繰り出したのです。 |
後で分かったことですが、東でなく南東に伸びる尾根が正解のようです。地形図にもGPSにも明示しておいたのに‥ 登った尾根はガイドブックどおり低い笹尾根(思い込みの原因)で急斜面に獣道が踏み跡のように続いています。 |
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かなり登った所で向うべき稜線が遠くなったことに気付き、方向を戻そうと尾根を離れ山腹を進みました。 しかし行く手をさえぎる深い笹と灌木‥それならいっそ低い笹で歩きやすい元の尾根がましとUターンです。 ここのアタフタは、上の地形図にちゃんとヒゲ線で残っています。 |
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尾根に戻り、しばらく登ると斜度が一層きつくなるった。おまけに胸まである笹が密集し足場の獣道も消えた。こりゃ厳しい。 振り返れば綿向山1110m、左の笹原ピークは清水頭(ショウズノカシラ)1095m。雨乞岳への新ルート発見かと勇んだけど‥ これ以上笹斜面を登るのは無理。でもトラバースは何とかできます。 |
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強引に笹を分けると稜線の登山道に出合えました。 ポイント番号16/16標高1220m、山頂は1238mなのでおしい!ここで南雨乞へ向かいます。(12:40) 深い笹道でなぜか靴紐が左右ともほどけました。これは縁起が悪いと気持ちが途切れます。下山は知らない道より知った道。 |
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というわけで南雨乞〜清水頭〜大峠の右回りは止め、右回りの雨乞岳〜杉峠〜千種街道に切り替え。そして山頂着。 ここまで5時間半かい!ランチに時間は取れません。 下山は三等三角点から北、道が3本もあります。ここで間違えたらえらいこっちゃ。真ん中を選択しました。 (13:00)〜(13:20) |
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それでOK、山頂からは4年前の春に辿った道です。雄大な展望を楽しみたいのですが、明るいうちに林道終点まで着きたい。 急降下した杉峠では、秋の陽が惜しみなく枯れた樹々を包んでいます。時間を惜しむ枯れた私も陽を受ける。 (13:45) |
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峠の下に労作の避難小屋。蓮如上人旧跡にもあります。カメラを向けると高齢の単独者に声を掛けられました。 『こんなもの撮って楽しいかい?』 『この場所に良く作ったものです』 『トタンだからすぐ壊れるさ』 『完成まで大変だったでしょう』 『暇人がいるもんだ』 どうも会話が噛み合わない。 自然の中の人工物が気に入らないのかもしれません。私ときたら人が作った車で来て、人が整備した登山道を歩きます。 |
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千種街道は、このミズナラ(一反ぼうそうと呼ぶ)を始め巨木が感動的です。鉱山跡まで350mに渡り古木が並びます。 (14:00) ※巨木の道はシデの並木道と表示されていました。 |
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すると向山鉱山跡で二名の登山者に追いこされました。たそがれていく速さに追いこされないよう歩かねば。(14:15) |
大きな丸太橋もロープで吊って補強されています。街道の滋賀側は随分整備されました。三重側は、いかがでしょうか? |
休まず歩いたおかげで、まだ陽は稜線の上。今日一番の紅葉樹を単独の方がデジイチで撮影中です。 樹々が『年に一回、綺麗な姿を見せるから森を大事にしてね』と言っているよう。 今日一日、空は葉っぱたちを引きたせようと青く澄んでいました。 蓮如上人旧跡(14:50)〜林道終点(15:15)〜駐車地(16:00:) |
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東海岳行 |
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秋。味覚の王様 | |
子供の頃、松茸が今のように貴重品で無かったため松茸ご飯は食べました。その後、私はこれといった松茸の記憶が口に残っていません。毎年、秋めくとひよこさんは、眼にいわし雲を映し『松茸をいっぱい食べてみたいなあ』と口癖のように言います。すると私は『ああ我が家にも秋が来たなあ』と思うのです。 ある日、外出したひよこさんから家にいる私に電話が入りました。NHKテレビを見てと言うのです。点けると長野県上田市塩田平の松茸山から生中継で、お客さんが松茸料理を山小屋で食べています。松茸山‥こんな山があるなんておとぎ話のようです。松茸名人が出演し、山に入って毎日採ってくると応えています。 ちょうどホテルを知人に教えてもらった長野県白樺湖の1泊2食4980円の格安ホテルに10月末小旅行の予定でした。ネットで調べるとホテルから松茸山は車で1時間ほど。そこには19軒の松茸料理店があり予約できました。 全国の松茸の生産量は昭和16年の12,222トンがピークで、昭和40年代には1,000トンと1/10以下。平成20年、とうとう71トンとピーク時の1%以下に激減しました。私の子供時代の昭和30年代は3,500トンでしたので今の50倍採れています。 その頃は、秋の味覚として庶民に親しまれ、私も口にすることができたようです。長野県は平成20年35トンと日本一の産地。上田市塩田平、豊丘村・喬木村、松本市穴沢は有名です。1200年前、万葉集に松茸が登場し日本人の愛着は他国の追従を許しません。その香りを嗅ぐと私たちは『え〜匂い』と顔がほころびます。 ところが馴染みのない人間は、それを悪臭としか感じないようです。欧米人は「軍人の靴下の臭い」「何カ月も風呂に入らない不潔な人の臭い」と嫌われています。しかし日本では人工栽培もできず収穫量が少なくのに私たちの遺伝子に組み込まれたDNAが松茸を渇望するため超高価な食材となっているのです。 ・周囲は赤松の山 ・店先の土産用(6本1万円) ・大物 ・山小屋内部 さて当日、予約した山小屋の駐車場に着くと全国区ナンバーの車。山斜面の階段を登り、プレハブ作りの山小屋と言うか、お店に着きました。店頭には驚くほどの松茸が通路の両側に積まれています。松茸料理のあぜみち山荘は、よくテレビで紹介され、そのコース料理は5000円〜15000円と料亭並みです。 価格・内容は、この辺りではほぼ統一され、私たちは中を取り焼き松茸が含まれた8000円コースを予約しました。生涯最初で最後の覚悟です。高額料理を食べる割には、お召し上がりスペースは庶民的というか低コストな作りです。しかもお茶はセルフサービス。席に着くとどんどん料理が運ばれてきます。 一つづつ運ばれるために写真を撮り、下にその料理写真を並べました。私は中でも土瓶蒸しが好きです。天ぷらは10cm以上あり大きかった。松茸は鮮度が大事ですが、地モノなので要件は満たしています。香りは強過ぎず鼻からふっと抜け、歯ごたえのシャキシャキ感は心地よい。 ・松茸鍋 ・松茸土瓶蒸し ・松茸茶碗蒸し ・松茸天ぷら 備長炭の炭火が運ばれ、憧れの焼き松茸。焼くまで時間が少しかかります。いま心残りは、焼きあがりを裂いて湯気の香りを嗅ぐことを忘れたことです。松茸和え物は、パソコンから印刷したサービス券で貰いました。1時間後、夕食が食べられないくらい、お腹は膨れたのです。 ・炭火焼き松茸 ・焼けたら青大根に ・松茸汁と松茸ご飯 ・松茸和え物 多分これほど口がいい思いをすることは、これから無いと思います。松茸自体は、ほっぺたが落ちるほどのものではありません。香りと食感の良さ、そして希少性からくる高級食材ということで味覚の王様の座は当分揺るぎないでしょう。食べ終わると二人で『もう松茸はいいな』という同じ感想でした。 貧乏舌にはシイタケで十分かも。でもお腹は満足したようです。私たちにとって遠方で山の幸の風味を楽しんだこの日が松茸記念日。さてお土産は写真だけです。今回は自慢話でご無礼しました。 |