2013年5月31日(金) 岩塊を山体から突き出す堂山 (大戸川より) |
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2010年1月に湖南アルプスの太神山(タナカミヤマ)〜矢筈ヶ岳(ヤハズガダケ)を歩きました。その際、コース北側に堂山(ドウヤマ)がありました。 アプローチで歩いた天神川沿いの東海自然歩道に道標があり、堂山も湖南アルプスです。調べると周回コース、縦走コースがありました。 スーパー低山です。岩の迷宮尾根で登り、砂に埋まった鎧ダム湖に降れば、変化のある縦走コースになります。野良人さんと博士を誘いました。 名神高速瀬田東ICで下り、天神川を遡りデポ車を迎不動近くに置きます。堂山北の新免地区に走り、西性寺前を右折、新免児童公園へ。 教科書は、「ヤマレコ miya72」さんのレポにお世話になりました。 |
<駐車地> [-]広域図、[+]詳細図、ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
新免児童公園 入口駐車地 ↓ 尾根分岐点 ↓ ▲堂山 ↓ 尾根分岐点 (ランチ) ↓ 阿弥陀河原 ↓ 鎧ダム ↓ 迎不動東駐車地 ※赤線はGPS軌跡 ※●は主な分岐点 ※左下登山口から周回可 ■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江 南:午前6時40分発 晴れ/17℃ 駐車場:午前9時25分着 晴れ/24℃ |
往:1時間30分(山頂まで以下、小休止含) 還:1時間20分 (ランチタイム除く) ◆所要時間:2時間50分 |
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公園入口に車止手前のスペースに置車。東の公園へ行き、堂山は右折ですが、神社へ寄るため左折しました。 (9:35) |
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新免神社。創建は不詳で祭神は、速玉男命(ノハヤタマオノミコト)です。戻って‥ |
獣除け扉を開閉して山道に。シダの分け道は、東から北へ方向転換します |
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花崗岩質の登山道は、ザれて滑りやすい。土の粘度は低く、踏み跡は雨水に思いっきりえぐられたようです。 |
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上空が開け、堂山の主尾根が見えました。左端が尾根分岐点、右端の山頂384mは、5つ目のピークとなります。 |
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尾根は、次第に露岩の道になりました。昔、山火事でもあったのか、岩肌は焼け焦げたような黒色です。 |
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ツツジがまだ咲き残り、山の緑と空の青さに良いアクセントとなっています。 |
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『お〜これはすごい、アルプスみたいだ。知らんけど』 豪快な風化・浸食の景観は、400mにも満たない山とは思えません。 岩尾根に沿って左側に道がついています。 |
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登り切れば尾根分岐点。色々な姿形の岩が現れ『この岩、面白い。あの岩、変わってる』と足が止まります。 |
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スタートしてから約1時間、尾根分岐点に到着。下山ルートの南に延びる道筋を確認します。 (10:35) |
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<奇岩くらべ> (左)オットセイが日光浴中 (中)布団の三段重ねですが、最下段がピンチ! (右)しゃくれあご。「今でしょ先生かな‥東進ハイスクールの林先生ですか?」 |
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尾根分岐点から西へ山頂を目指します。3日前の5月28日に梅雨入りしましたが、今日は望外の「梅雨の一休み」 |
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鞍部で右の登りと左の降りに分かれる個所があります。左が迂回路で右は冒険ダン吉コース。私たちは、往きが右、還りは左を取りました。 |
中々歯ごたえあり、慎重にルートを探査しなければいけません。これは登っている場面ではありません。必死で降っています。 |
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四つ目のピークは小さく、それを越すとこの山頂です。 2,3日前の天気予報は曇りでしたが、ついています。 爽やかな風が届き、濡れたシャツの気化熱で心地よい。 (11:05) 北西の眺望‥左端が千頭岳602m、その右隣が音羽山583m。 右ピークが比叡山848mで、その下に琵琶湖南端が見えます。 大津市の三級基準点が、設置されていました。 ↑南東左に湖南アルプスの主峰太神山(タナカミヤマ)600m、右が矢筈ヶ岳(ヤハズガダケ)562m。 10分山頂で休憩し、尾根分岐点まで戻りランチしました。 (11:35)〜(12:20) |
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下山は一旦降り、登り返しますが、その後は標高を下げるだけです。こんなトンネルの木陰もあったりして‥ |
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せせらぎの快適な道になったりして、ルンルンで歩いていくと‥ |
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ダム湖が花崗岩の砂礫で埋まり、広大な砂地になった阿弥陀河原。 先の鎧堰堤は、オランダ人の土木技術者ヨハネス・デ・レーケの指導で造られた砂防ダムです。 砂をせき止める目的ですが、充分役目を果たしました。 ←堰堤は、124年前に建設され、高さ6.8m・堤長9m。 現存する堰堤では、全国で2番目に古いものです。 下流に新堰堤が設けられ、歴史的建造物を守っています。 金勝(コンゼ)アルプスでもヨハネス・デ・レーケの堰堤がありました。 |
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澄みきった水の流れは清々しい。何回も渡渉しますが、川の幅は狭く、転石がしっかり固定されています。 |
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両岸の岩は、屏風岩のように垂直です。この4mの滝が現れたり、谷の変化を楽しめます。 (12:55) |
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天神川と合流する手前で迎不動堰堤が川をせき止めています。この砂防堰堤は、2000年に完成しました。 オランダ風の石積み構造で高さ9m・幅34m、鎧堰堤の5倍近い大きさです。 (13:00) |
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鎧堰堤からの流れに沿ったルートは涼しく、暑さを忘れるほどでした。新堰堤の先で天神川本流を渡渉し、堤防を登れば‥ |
朝、路肩に止めた車が、木陰でスタンバイしています。(13:10) 新免地区の公園入口まで6km、車で10分の走行です。 |
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左から博士、野良人さん、お付き合いありがとうございました。お蔭で縦走でき面白いコースを歩けました。 |
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東海岳行 |
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“ダニーズ” | ||||
ダニが媒介する病原体は、日本猩紅熱・ライム病・Q熱など、そして最近新聞紙上で騒がしいSFTSウイルスがあり厄介です。感染症の症状は1〜2週間の潜伏期間を経て発熱・嘔吐・下痢などの症状が現れます。最初は2009年、中国の農村でSFTSウイルスが発生しました。 その患者数は、1年と4ヶ月間で241人。濡れた稲をかたずけていた女性にダニが取付き、この病になりました。厚生労働省の3月の発表では、感染が判明した8名を分析すると50代以上で西日本に集中していました。50代2人、60代1人、70代2人、80代3人。 発生地は長崎、佐賀、宮崎、山口、広島、愛媛、高知です。今春の4月にも山口県の60代の女性がマダニに咬まれ発症しています。最新のニュース(5月27日)では、高知県の60代男性が、昨年11月野外のマダニを介して重症熱性血小板減少症候群(SFTSウイルス)で死亡しました。 国内の感染例は17人目で、死亡が確認されたのは9人目です。中国では、患者の97%は森林地帯や丘陵地帯に住む農業従事者でした。致死率は12〜30%と高い。西日本の発生地の詳細は未発表です. もし山なら予防しなくてはなりません。笹分け登山道へ行ったら両手で広げたタオルを道沿いの笹に当てて5m歩きます。タオルに小さな彼らを見つけたら要注意。マダニは笹のように尖った葉先が好きです。葉に動物が触れると、マダニは頭に近い二つの足を動物の毛に引っかけて移ります。 1匹だけではなく葉先の色が変わるほど大量に潜んでいることもあるようです。ぞっとしますね。人の場合は、着衣の繊維に絡めて移ります。ソフトシェルのようにツルツルした生地は、引っかけにくい。 そういう登山服を着るのも予防法の一つです。他に笹藪や草むらへ入らない、草に直接座らない、虫除けスプレーを使用する方法があります。究極は山には出かけないことですが、それは無理。マダニは、首尾よく動物に移動すると気に入った場所を求め、7時間も歩き回ることがあります。 蚊のように刺して吸血するのではなくダニは咬みます。その咬器はハサミのような形をしていて皮膚を切り裂き、そこにギザギザの歯を差し入れます。それは釣り針のように返しがあり抜けにくい。さらに口から特殊な体液を吸い口の周囲に流し、まるでコンクリートのようにそこを固めます。 強固な連結を図り、簡単に抜けないためです。そうなれば、ゆっくりゆっくり吸いまくり1週間以上吸血することもあります。約1mlに及ぶ大量の血液を取り込むのでマダニの体重さは100倍以上デカクなります。もし食いついているのを発見したら無理やり取ろうとしてはいけません。
ダニをつまんだ指に力を入れるとイチジク浣腸の原理でダニの体液が逆流し、病原体が自分の体内に流し込まれオウンゴールです。見つけたら皮膚科で取ってもらいましょう。 私はマダニに取りつかれたことがあります。(2010年9月の道草“四日目に発見”) その時は、こういった知識がなかったので大変な目にあいました。幸いSFTSウイルスに感染していなかったのでまだ生きてます。 ※岳魚さんより:食いついたマダニの除去法は、24時間以内ならワセリンをタップリ塗って30分間放置して窒息させる。布でふき取ると口下片を残さず簡単に取れることがある。それでも取れないときはお医者さんへ(日経メディカル) |