大和三山(前編)/奈良県橿原市(かしはら) |
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みみなしやま かぐやま うねびやま |
(耳成山139m・香久山152m・畝傍山199m) |
2021年1月6日(水) 街に浮かぶ耳成山 (畝傍山から北東の展望、天理市、奥右:龍王山586m、奥左:高峰山633m) |
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奈良盆地南に位置する香久山・耳成山・畝傍山の三つの山を総称して「大和三山」と呼びます。香久山は尾根が浸食で切り離された山です。 耳成山・畝傍山は死火山。三山はこの地方の神々が鎮まる地として神聖化され、飛鳥時代に藤原宮が三山に囲まれた好適地に造営されました。 そのためエリアには史跡・社寺が多く、国の名勝大和三山回遊のもう一つの楽しみです。山友の野良人さんと新春の登り初めに遠征しましした。 名阪国道から西名阪道に走り、郡山ICで下ります。10km南下して葛本町交差点を左折し、耳成山公園南の古池へ.。 教科書は、橿原市HP「かしはら探訪ナビ/名勝大和三山コース/マップ付」、参考書は「近鉄てくてくマップ/大和三山回遊コース」です。 |
<駐車場> ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
耳成山公園駐車場 ↓ ▲耳成山 (車) ↓ 藤原宮跡駐車場 ↓ 醍醐池三角点 ↓ 藤原宮跡 ↓ ▲香久山 ↓ 紀寺跡 ↓ 飛鳥川 ↓ 大和三山回遊(後)へ ※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江南発:午前6時25分 晴/4℃ 駐車地:午前9時05分 晴/8℃ 標高差:(60m→199m)139m |
往:2時間50分(王将まで、小休止含) 還:2時間15分(ランチタイム除く) 時間:5時間05分 |
耳成山公園の古池南側が、無料駐車場です。池沿いの遊歩道で北の小公園へ歩きます。 (9:10) |
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小公園にはWCがあり、ありがたい。向かい側に、この登山口。右に坂を登り、下山は右上奥の鳥居へ戻ります。 (9:15) |
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登山道で多くの人とすれ違いました。地元の愛山ですね。勾配は緩く、息は切れません。左回りに渦巻き歩きすれば‥ |
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山頂139m三等三角点。耳成山は、大和三山で最も低い標高です。眺望はありません。東へ下山すると‥ (9:40) |
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耳成山口神社に出合いました。拝殿に、おたっしゃ倶楽部のみなさん。 昔は、ここで雨乞い神事が行われました。今日は井戸端会議です。 |
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下山の参道に寄進された灯籠が並びます。やがて登山口で見た鳥居が近くなれば、35分で第一山登了です。 |
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駐車場から振り返ります。山容は円錐状で人の顔なら耳がないように見え、耳無山→耳成山なりました。 (9:55) |
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そして時間節約のため、車で藤原京跡駐車場へワープします。まず北側の池端にある三角点にご挨拶しましょう。 (10:00) |
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池にはカモが500羽以上。池の奥、写真手前が標高72.6m四等三角点「醍醐池」です。藤原京跡へ戻ります。 |
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歴史を確認 ◆古墳時代:3世紀中頃~6世紀頃 ◆飛鳥時代:592年~710年(118年間)「藤原京」694年/橿原市(日本初本格的都城) ◆奈良時代:710年~794年(84年間) 「平城京」/奈良市 ◆平安時代:794年~1185年(391年間) 「平安京」/京都市 ◆鎌倉時代:1185年~1333年(148年間) 鎌倉市 |
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発掘調査(昭10~)された藤原京跡は史跡公園となり、南北540m×東西450mと広大です。 飛鳥時代の694年から16年間日本の首都で、900m四方の広さがありました。 皇居・国会議事堂・霞ヶ関官庁街を1ヶ所に集めたような所です。、 赤い大極殿院閤門跡の列柱。45m×20mの広さの基壇跡に24本の柱で再現されました。 左後背は、大極殿跡(樹叢)です。行ってみましたが、遺跡はありません。 でも1300年前、これほどの大規模工事ができたことが驚きです。 |
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南西2.4kmに第三山の畝傍山。背後は、大和葛城山です。 |
南東に朝堂院東門の列柱9本、後ろは第二山の香久山。では1.2km先の香久山へ。(10:30) |
途中、田園地帯にしっとりとした家並みの高殿町を抜けます。奈良の不思議街です。やがて簡素で‥ |
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古格ただよう天香山神社。右に「香久山登山道→」の案内板がありました。北から登り、南へ下山の縦走です。 (10:50) |
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小倉百人一首、「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香久山」 学校で習いました。作者は女性の持統天皇です。10分ほど登れば‥ |
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国常立神社(クニトコタチ)の建つ香久山山頂152m。古代は国見の地であり、雨乞い神事も行われました。 (11:00) |
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西に展望があり、左:大和葛城山959m、低山が畝傍山199m、右端:二上山517m。 |
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南の南浦集落へ下山します。そこには‥ |
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土蔵・白壁の塀、大きな板戸の門などお屋敷が並びます。住む人にも歴史がありそうです。家並みを抜け、右折‥ (11:10) |
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西へ車道を500mほど進むと、右に紀寺跡(キデラ)。7世紀後半の創建で紀氏の氏寺に由来します。 ここから瓦や仏像の一部が出土しました。 並ぶ自転車は、左隣にある県立明日香庭球場で練習する中学生のものです。 (11:20) |
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飛鳥川近くに来ると左に竹藪。その前に庚申さん(左奥)とお地蔵さん(右奥)が祀られていました。(11:30) |
そして飛鳥川を渡ります。『水すくな!』 奈良盆地には、溜池が多いですね。 大和三山(後遍)へ |
東海岳行 |
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“G.I.ジョー” | |
最近、山行をご一緒する爺愛嬢さんは、2018年9月に「観音沢から八島ケ腹湿原」のコースで山友の野良人さんの紹介でご一緒したのが最初です。現役の方なので休日に近郊低山を登山されています。 野良人さんも近郊低山派なのですが、あるとき山頂で爺愛嬢さんと出合われたそうですその後、二人は再び山で遭遇し、そんな縁で時々一緒に山行をするようになりました。 そして爺愛嬢さんは、東海岳行を初期の頃(2005年頃)から訪問されていて野良人さんに『面白い山のホームページがありますよ』と紹介されたのです。 やがて爺愛嬢さんは、仕事が忙しくなり山から離れられました。野良人さんは、東海岳行を見るようになります。爺愛譲さんと出合ったように私:山たまごともいつかどこかの山で出合うだろうと考えていました。 ところが山たまごは一期一会登山なので、合う確率はスーパー低山なみに低いのです。そこで私にメールを送られ2011年3月W権現山(下左)の山行からご一緒するようになりました。 その後、野良人さんと私は、しばしば山行をご一緒するようになりました。一方、爺愛嬢さんは山を離れても東海岳行の訪問を続けていました。 その岳行ノートにたびたび写る山人が、自分の知っている野良人さんにそっくりではないですか。思わず野良人さんに電話すると『そうだよ』 正解でした。 自分がずーっと見ているHPに知っている人が突然出てくるってどんな感覚でしょうね。さて何年か経ち、爺愛嬢さんも仕事環境も変わり、再び山を始められました。野良人さんにも連絡を取り、一緒に近郊低山の山行開始.します。 そのうち野良人さんが、三人で登ろうと思われ声をかけて頂き三人パーティが誕生しました。 2018年9月の「観音沢から八島ケ腹湿原」から始まり、その年は岩籠山・竜ヶ岳の3回です。爺愛嬢さんは八島ケ腹湿原に感動され、後日奥様を連れて行かれたと聞きました。 昨年は、白川自然休養林・大崩海岸・焼津アルプスの3回。回数は少なくても私もベストだと思う中身の濃い山行が出来ました。私と野良人さんは毎日サンデーですが、爺愛嬢さんは現役なので好天の休日という条件があり、回数は少なくなります。 今年も感動登山の可能性がある山をいくつか見つけていました。しかし、嵐のようなコロナ禍で緊急事態宣言が再発令され、しばらくは大人しくしなければなりません。山は逃げません。 |