赤目四十八滝 300m〜500m/三重県名張市 |
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2009年8月17日(月) 赤目渓谷イワタバコの群生 |
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駐車場周辺図 [−]:縮小 [+]:拡大 |
滝入口P ↓ 日本サンショウウオ センター ↓ 不動滝 ↓ 布曳滝 ↓ 百畳岩 ↓ 荷担滝 ↓ 琵琶滝 ↓ 岩窟滝 ↓(戻る) 延寿院 ↓ 滝入口P ※赤線は実測ではありません ■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江南:午前7時05分発 26℃ 晴れ、時々マイナスイオン |
往路:2時間20分 (小休止含) 復路:1時間30分 |
平日なので1000円高速ではなく通勤割引で1050円高速。土産物屋通りを抜け、入口に近い駐車場(800円)に到着しました。 ここ赤目渓谷もお盆は、すざましい人出だったそうです。片道4km90分の行程前に小腹を膨らませましょう。上田屋の‥ (10:00) |
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名物“よもぎ焼餅”を1個づつお腹に入れます。入口から少し歩くと‥ |
たまき屋では、さつま芋の生地“へこきまんじゅう”忍者形で100円『よし、こきまくるぞ』 |
滝川右岸を歩けば、日本サンショウウオセンターが、散策路に関所のようにあります。入館料300万円(入山料含む)です。 世界の両生類を30種類を飼育展示。日本の動植物は小型が多いけどサンショウウオは、世界最大の両生類です。 |
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さてセンターを出ると‥こんな道が続くはずはありませんが。一番滝の行者滝が見えます。高さ5m、滝壺の深さ10mです。 (10:15) |
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木立に包まれて進めば雄大な不動滝。高さ15m、幅7m、滝壺の深さ10m。 今日、もらったマップ掲載の写真より3倍くらいの水量です。以後、逆光に悩まされます。 明治中頃までこれより先は原生林、この滝で滝参りをしていました。 (10:20) |
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川魚がいたる所で見えます。滝と滝の間が、生涯の生息域なのか。川はつながっていないのに同種が日本各地にいる? 『川魚の不思議だ』この川には、アマゴ、カワムツ、オイカワなどがいるそうですが、これはカワムツ? |
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左は八畳岩です。右岩に寝る危ないカップル。寝がえりすると帰られなくなります。近くに循環式の綺麗なWCがありました。 |
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その上に千手茶屋があり千手滝が見えます。高さ15m、幅4m、滝壺の深さ20m。途中の岩で流れが分散する姿が美しい。 (10:40) ここの温度計を見ると23℃‥『3℃低い』 ←(観光地百選シリーズの記念切手) |
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小橋を渡り階段を上ります。もう一度、橋を渡り返すと布曳滝(ヌノビキダキ)です。 高さ30mで一条の布がかけられたように岩を落ち、えぐった滝壺は30mととても深い。 今日はウォーキング・シューズで足取り軽く、降り注ぐイオンはマイナス、身体にはプラス。 (10:45) |
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左岸のカツラの神木を過ぎ、しばらく行くと斜面にイワタバコが群生していました。1.5cmほどの花で8月上旬から見頃です。 道に岩が多くなり、木の根やぬかるみもあります。クロックスの小学生男子が『サンダルは、きつい』とぼやいていました。 |
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やがて一枚岩の大岩盤15m×10m百畳岩です。ここでまた小腹が鳴るのでベンチでパンをかじりました。 (11:25)〜(11:35) |
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再び上流に向かいます。ここは滝壺の形から柿窪滝(カキクボダキ)と名付けられ、高さ5m、滝壺の深さ10mです。 左上に飛び込もううか、止めようか考えているひよこさん。 (11:40) |
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散策路の岩壁、ここを通るとき雨に降られます。上から落ちるしぶきで濡らされるので雨降滝。言いえて妙ですね。 (11:50) |
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この辺りは、TOP写真のように川面の斜面には、イワタバコが満載です。 やがてこの渓谷一の景観荷担滝(ニナイダキ)に着きました。 階段状に流れてきて高さ8m、岩をはさみ2条になって落ちる名瀑です。 (12:05) (1951年観光地百選シリーズの記念切手)→ |
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子供のはしゃぐ声と川の流れのハーモニーに癒されます。この雛段滝(ヒナダンダキ)は、一枚岩が段になったものです。 (12:15) |
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高さ15m、滝壺の深さ10m。この絶壁に囲まれた琵琶滝の空間も素敵だ。 ここが最後の赤目五瀑(不動滝、千手滝、布曳滝、荷担滝)です。 (12:55) ここから階段を上がり、岩窟滝(高さ7m、滝壺の深さ3m)で滝巡りは終わりました。 その上には溜池があり、さらに流れは緩やかに高度を上げていきます。 それを確認し、同じ道を戻りました。片道1時間30分の行程が、ゆったりし過ぎの2時間20分。 (12:30) |
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赤目四十八滝は、22滝で話し半分以下です。先週の志賀高原の四十八池と同じことで多いという意味なんですね。 途中、分岐がありそれを登って‥ |
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集落内にある延寿院に立ち寄りました。重文の鎌倉時代の石灯篭があります。坂道を降れば駐車場です。 (14:05) 通りの大日屋で伊賀牛汁御膳を頂きます。『ここにしかない!』と巧みに勧められた手延べ葛うどんを土産に買いました。 |
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赤目渓谷から車で11kmを15分ほど走って室生寺に行きます。(駐車場600円、入場も600円) この五重塔は平安時代に建立された国宝です。 平成10年に台風で杉の巨木が折れ。屋根が大きく損傷しました。 しかし平成12年に見事に修復されました。 また国宝の金堂には見事な仏像が並べられています。もちろん写真撮影禁止です。 一木造りの大きな立像が1列5体あり、その前に3分の1サイズの像が1列12体‥感動しました。 |
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境内の池にコウホネの花。右からカマキリが、近づいてきてます。 |
車のボンネットには何?バッタ。3時間ドライブだけど付き合う? |
東海岳行 |
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“最高のご褒美” | |
誕生日、クリスマス&お正月、入園入学‥今の子供たちは、そんなイベントにおもちゃや文具などを買ってもらえます。私の子供の頃を振返るとそんな思い出は殆どありません。でも小さな記憶の鍵で扉を開けると、いくつか今も輝いているものがあります。 確か、おもちゃを最初に買ってもらったのは、小学校に入学する前だと思います。名古屋栄のデパートに勤めている叔父がいて、家族でお店に出かけました。その際、最新の玩具ということでビニール製のキリンを叔父がプレゼントしてくれたのです。 少しは嬉しいけど子供心に、女の子っぽいおもちゃにそれほど喜びを感じませんでした。でもお尻の空気栓からパンパンに膨らますと、そのつるつるした手触りは新鮮です。幼い私は、それに針を突き刺したらどうなるかという好奇心に駆り立てられました。 家に帰り、その晩さっそく独りでそれを実行したのです。‥たちどころにしなびたキリンを見て、これは叱られると思いタンスの後ろに隠しました。父が来て『キリンは?』と尋ねます。『‥』しかし、すぐに哀れなキリンは発見され『一日も、もたんのか』と父は嘆きました。 中学校への入学前、いつまでも自分で起きられない私に母は目覚まし時計を買ってくれました。ゼンマイ式でねじを巻き、針を合わせると7時にジリジリとベルが鳴ります。『不思議だなあ。どういう仕掛けだろう?』私の好奇心は日増しに大きくなりました。そしてある日、大工道具を持ちだし不思議を分解したのです。 裏ぶたをドライバーで開けると謎の世界がぎっしり詰まっています。秘密はもっと奥深くに隠されているようです。私は更に機械のジャングルに進入したくてネジを外しました。突然、ビヨ〜ン‥はがねのゼンマイが、抑圧を一気に解放させたのです。 小さく格納されていた渦巻きが、一本の長い板鋼に変わり足元に転がっています。大変な事態になりました。私は必死でそのはがねと格闘しましたが、子供の力では元に戻すことは無理です。時を刻めないバラバラの目覚まし時計を物置に隠しましたが、数日後母に見つけられました。 母は、私の好奇心に寛容でしたので、お陰で私は今も時を刻んでいます。 さて中学生になると私は洋楽を好きになりました。「Be My Baby」「Vacation」「ダイアナ」「悲しき雨音」‥あの頃ラジオは、メロディの宝箱で一杯の宝石を届けてくれました。そんな風に音楽にうつつを抜かしていたわけですが、三年生になると受験勉強が待ち構えています。 私の中学では、500人の生徒中100番以内に入っていないと公立高校に受かりません。10組ありましたからクラスでは10番以内が最低条件です。当時、私立と公立では入学金や学費の差がケタ違いで、貧しい我が家では公立は必至でした。 それまで中間テストや期末テストの準備は、一夜漬けでしたから私はそのレベルまで当然達していません。その頃、小金持ちの親友がテープレコーダーを買ってもらったのです。聴き流すことしかできなかったメロディーを録音すればいつでも聴くことができます。これは私も欲しい。 思い切って母にねだると『クラスで10番以内に入ったら』と言われました。そこで一念発起してテスト開始5日前から試験勉強を始めます。 集中力のない私は2時間勉強、2時間ラジオ、また2時間勉強といった具合です。しかしその結果、何とかひと桁台に入り母から待望のご褒美をもらいました。 東芝の5インチ・オープンリール・テープレコーダーは、電池では動かない管球式です。チューナーは無いのでマイクかラジオのイヤホーン端子から録音します。 それはそれは最高の贈り物でした。私は、夜な夜なラジオから音楽を録音し、親友とテープを交換したものです。オープンリールは、早送りや巻き戻しの時テープがリールに絡むことがあります。そんな時、クチャクチャになった部分をハサミで切り取り、接着テープでつなぎ直すこともできるようになりました。 このテープレコーダーは、その後の私の人生に大きくかかわってきます。中三のある冬の日、ラジオから『♪アゲハー、アゲハー』と強烈なあげは蝶の唄?‥いや、ビートルズの日本デビュー曲!必死でその曲を録音し、テープを持って即刻親友の家に自転車を走らせます。 すると彼も「♪抱きしめたい-I Wanna Hold Your Hand」を録音していました。二人で繰り返し聴き『こんな曲ないな!すごい』と語り合いました。ここから「晴れ、時々ビートルズ」の青春の日々が始まったのです。 |